1951年5月、白燕発行所から刊行された橋閒石(1903~1992)の第1句集。著者は金沢市十三間町生まれ。刊行時の職業は神戸高等商業学校教授。
雪の中から生れて、雪の懷で大きくなった私は、故鄉を遠く離れてゐると、殊に雪が戀しくてならない。若い頃の思出も、大方は雪に埋もれた冬の日に繋がつてゐる。句集の表に刻した「雪」の一字は、実に夢寐の閒も去らぬ皚々たる幻の化身なのである。
憶へば十五の秋、病床のつれづれに初めて俳書をひもどき、句めいたものを吐いて以來、會て暫く連句に一人の先逹を得たほかは、未だ一語の敎を人に乞うた覺もない天涯漂泊の身である。心惹かれる誰人もなく、いづれの流派をも慊らずとしたのは、唯に不覊猾介の所爲ばかりではない。梦を追うてやまない性のなせる業でもある。
旣徃に咏み捨てた俳句は恐らく萬に近く、卷き揚げた連句また數百卷に上ると思はれる。然るに年少の頃から、物みな虛しと觀ずる埜狐の妄念に捉はれて、ことさらに書きとどめようともせず、殊に戰火によつて身邊の一切を燒失したゝめに、たまたま人の手許に殘つたものを、辛くもかき集めて收錄するよりはかに、途がなかつたのである。
性來ものぐさな私が、俳誌白燕を發刊したのも、若い人々の情熱と意氣に感じたからであり、「雪」の刊行を决意するに至ったのも亦、慫慂してやまない周園の朞待に應へ、好意に酬いたかつたからである。もし私を取り卷くこの情愛がなかつたなら、咏み出でる感懷の雪片は、時の流に吸はれつくして、遂にに一塊の殘雪とならなかつたであらう。
編纂に關しては、信賴する數名の人々に、並ならぬ勞を煩はした。附記して深く感謝する。
(「あとがき」より)
目次
・俳句
- 道程
- 彩雲
・連句
- 百韻
- 歌仙
- 新形式
・随想
あとがき