2006年2月、編集工房ノアから刊行された田中荘介(1936~)の第2詩集。著者は神戸生まれ、刊行時の職業は神戸常盤短期大学教授。カバーはアントニ・タピエス「gat」、撮影は横山英俊。扉は涌田利之。
わが少年時代を振り返ると、次々に記憶が立ち上ってくる。些細な事柄のディテールを憶えていて、些細であるけれど、それが記憶に刷り込まれたとき、一人の人間にとって、それは些細ではなくなる。苦しい時代だったが、子どもは子どもゆえにいくらか苦しさを感じないでいられた。しかし、今思えば苦しかったのかも知れない。おとなはもっともっと苦しかっただろう。けれど、いつの時代も生とは苦しいものだ。
親戚のある人が、わたしのことを「ボン(坊っちゃん)は苦労知らずやから――」と言った言葉が耳の底に残っている。そのころ、祖父も父も健在で、家の商売は景気がよかった。それを羨んでの言葉だと、子ども心にも感じられた。戦争は何もかもひっくりかえした。わたしは自分のことを苦労人ともそうでないとも思わないが、弱虫だった子どものころを思い出す。わたしが弱虫から少しでもぬけ出せたのは、その後の環境のせいもあるが、それは、わたしが本好きで、本の中から人の心や世の中を読みとることができるようになったからだ。本の世界をとおしてわたしは、世の中も他人も恐れるに足らずと自信がもてるようになった。自信過剰なくらいになった。要するに、青年期は生意気になった。人間は変わるものだと思う。むろん、弱気な部分を抱えもってのことであるが。弱気な反面、喧嘩して人に傷を負わせたこともある。
体は弱く、よく病気して寝込んだ。これも三十代から健康になり、普通の人並みになった。人は変わるものである。
古稀を迎えるにあたり、わたしの二冊目の詩集を編んでみた。どこにも発表せず二か月ばかりの期間に、書きためたものである。詩作の過程で、堀辰雄の「幼年時代」が頭の片隅にあった。
(「あとがき」より)
目次
- ありがとう
- しあわせ
- いたい
- とろける
- たべる
- あそぶ
- えがく
- しらける
- ねている
- はく
- ゆれる
- みせる
- きこえる
- にっぽん
- なげとばす
- うちまた
- はしれる
- そふ
- そぼ
- ちち
- ふうけい
あとがき