1973年9月、創言社から刊行された谷川憲子(1938~)の第3詩集。著者は福岡市生まれ。刊行時の職業は甘木市立中学校図書館勤務。
谷川憲子さん。
あなたの自選詩集『影の風景』の原稿を一通り読み終って、これはもうわたくしなどが今更めかしく序文など書く必要もない、谷川憲子という個人の立派な詩の道標だと感じました。しかし、何か書くようにといわれたとき、わたくしは友情として何の配慮もなく承諾しました。出版社ではそのためにわたくしの駄文の出来るのを待っているということですから、迷惑をかけることになってはいけないと思い、これを書くことにしました。序文というほどのものではありません。
甘木市の福祉事務所からの紹介で、身体障害者だというあなたの詩を読み、たまたまその年九州へ帰省する機会があって、はじめてあなたと対面したのは、わたくしの記録によると昭和三十六年十一月三日の夕暮れ、所は甘木の緒方無元さんのお宅でした。
わたくしの読んだあなたの最初の詩は、言葉の巧拙はともあれ、とても肉体的なハンディキャップを運命づけられた身体障害の少女とは思われない、知的な明るい作品でした。そしていよいよ会ってみると、失礼な言葉かも知れませんが、やはりあなたは誰かがしっかり抱きしめてあげねばならないような不幸な運命の人だという気持を、わたくしはかくすことが出来ませんでした。しかしあなた自身はその詩と同様に自分を不幸などと思わない、むしろ詩を書くことで普通の人々よりずっと明るい希望を持った少女でした。そのときわたくしが感じたのは、詩は人間にとってユマニスムの透明の杖だということでした。あなたからその透明な杖を奪うようなことがあってはならない。同時にあなたの生きる詩を、世の多くの人々にも与えねばならない。それは身体障害者よりも、むしろ肉体の健全に贅って叡知を失いつつある人々へ、とまで考えました。わたくしははじめて読んだあなたの詩から先ず七篇を選んで、それを谷川憲子詩抄と題し、昭和三十七年一月発行の「文学散歩」第十二号に発表しました。これは今から思うと、わたくしの病者に対する感傷も混っていたことは否定できません。そのためにいささか顔の赤らむ思いもしますし、あなたに対してはかえっておせっかいな過ちを犯したようにさえ思われてなりません。しかしあのささやかな雑誌「文学散歩」によって、読者の声がマスコミにまで反響し、あなたの詩人としての存在があちこちに友を呼ぶよい結果になったのは幸でした。わたくしは正直マスコミの雑音を恐れましたが、あなたの詩は甘木市安川の鄙びた山里で微動もせず、ただひそやかに成長をつづけるのみでした。
あれからもう十一年がたちます。そして今この『影の風景』を読みますと、どこにも、もう身体障害者などというハンディキャップはなく、あなたはただただ明るい知的な詩人として、言葉の林の中に美果を求め、それを人にも与え得る健康な精神そのものにまで成長されたことを知りました。
だが、詩はあくまでも自己のための文学であり、言葉の芸術ではありますが、言葉は無限のように見えて限りあるものであり、言葉にのみ捕われていると、いつかは言葉の中に埋没することにもなりましょう。そして観念の蝶となって大切な自己から、どこへとも知れず翔び去ってしまう惧れもありましょう。文学によって詩を作り、詩集になることは、いわば詩人の小さな祭りに過ぎません。祭りはひとときのものでしょう。詩があなたの生命となり、日常の思考や行為となったとき、本当にあなたの詩といえるのだと思います。
沙漠の旅人のように自分の来し方をときには振りかえりながら、一層確かなあなたの人生をまっすぐに歩いて下さい。『影の風景』が今後のあなたのための確かな道標となることを祈っています。
(「序/野田宇太郎」より)
目次
序 野田宇太郎
黙示
Ⅰ
- はじめに
- 自然
- 風景
- 感傷
- 渇く
- 岬
- 秋の声
- 音もなく
- むかし その愛は
- 湖の貝
- 秋
- 青春へ
- 流木のように
- カリカチュア
- 春のこころ
- 生活
- 秋
Ⅱ
- 偶像
- にぎやかな夜
- そこに無数の戸口がある
- 猫
- 負の世界
- 喪失
- 血と爪と真紅の花と
- 三霧の中には
- 雨
- 洪水
- 河の神話
- B先生
- だから洋燈は消せない
- 笛
Ⅲ
私は「私」を殺したい――後記にかえて――