2005年7月、白地社から刊行された滝本明(1943~)のエッセイ集。企画・編集は青野久美。カバー装画は片山昭弘、装幀は倉本修。著者は大阪生まれ。
目次
第一章 情報解体新書
- インフラの変容
- 自然の情報について
- 世界の構造
- 文化といういろどり
- 情報の互換性とバナキュラー
- Reのつく言葉と時代性
- 時代とシナリオ
- 名の由来のこと
- 港に流れる時間
- ココロのライフライン
- 歴史時間の中で
- 自然図鑑の話
- 色彩夜話
- 王の通信
- 表現の現在
- 秋深く
- 言葉に棲む魚
- 人生処方読書
第二章 都市の文脈を読む
- ながれる意味
- 廃墟の窓
- 都市と文体(橋)
- 棒状のものへの恋歌(マドリガル)
- 火のレプリカ
- 水の位置
- 本能のラッピング
- 比喩の人
- 溶ける壁
- 懐かしい未来
- 荒野(あれの)の意志
- 都市の太陽
- ノマドのように
- 天の微分
- 一行の虹
- 風景の発見
- 風景としての言葉の
- 時間(トキ)の背中
- 祭りのあとさき
- 原動機のある風景
- 火の神のこと
- 風景の浦島
- 水平線のあるホリゾント
- 風景の始源について
- 物語の模型
- この町で
- 言葉の岸辺
- 一九九五
- 現象としての花博。潜象としての鶴見緑地
- 大阪アメニティプラン序文
- 今井祝雄への手紙
第三章 ぼくのファッション論
- 蘇=Re
- 物語性の復活ヘ―ーファッションとは何か
- フィロソフィーとしてのブランド考①―Naを考える
- フィロソフィーとしてのブランド考②―Naを探る
- フィロソフィーとしてのブランド考③―Naを作る
- 装いの生態学―メディアとしての人間①
- 身体と気配のトレンド論―メディアとしての人間②
- 地球の一員としてのポジショニング―メディアとしての人間③
- 子供の木とバナキュラー―メディアとしての自然を読む
- ナノスペースのエコシステム―メディアとしての自然から学ぶ
- デザインシステムの樹と根―メディアとしての自然を考える
- モードの劇場―メディアとしての都市①
- 時間のなかのシナリオ・シティ―メディアとしての都市②
- インフラストラクチャーと風水思想―メディアとしての都市③
- ぼくたちの未来論
- ファッション への新たな出発―――理念の実現にむけて
第四章 自分史遊び
- 詩人と画家の創作
- 魚の喩法=フロッタージュ=
- 首のない歩行=見取図=
- 穴
- 月の家族
- 義父と十姉妹
- 複製の肖像画―飢えについての走り書き的ノート
- 一行の淀川に、物書きたちの夢を見る
- 私の食糧神話
- 独楽
- ロックにならない私的反芻楽曲(リフチューン)
- 大阪文学々校・青きパラダイム
- 対談「夢の週辺」 瀧克則/滝本明
- 言葉あそび―文学創造の問題点
- 一九八一年のノート
第五章 本の風景を読む
あとがき