1991年10月、百鬼界から刊行された岸本徹(1934~1990)の遺稿詩集。著者は神戸生まれ、手帖舎社主。
川原に咲く彼岸花の朱が、例年以上に心を引く秋がめぐって参りました。昨秋、それははんとうに忽然とあの人は逝ってしまいました。やり残した仕事も、書きおえていない作品のことも、何も言い残すことなく、吹く秋風に乗ったかのように逝ってしまいました。今思えばそれは全く、あの人らしい逝き方だったのかも知れません。
本作りという仕事は、人生の半ばから始めたものではありましたが、生れながらの天職だったかのように、その中で夢をふくらませておりました。
詩の書き手としての、その時間は当然少なくなっていたことでしょう。でも書きたい気持ちが常にあったということは、残されたノートに記されたメモ書きが多くを語っております。
弔いの日、子どもたちは、眼鏡とペンと原稿用紙を、あの人に持たせました。「今度こそ、落着いて詩を書くことが出来るでしょう」ということばと共に……。
詩集『腔腸都市』」は、編集者としての最後の仕事のように引出しにまとめてありました。そして友人の宮園洋さんに、この詩集を出版することをお願いしておりました。疑問に思うことを確かめることも出来ないという歯がゆい不便さを乗り越えて、一冊の詩集として創り上げて下さった宮園洋さん、お忙しい中、文をお寄せ頂きました永瀬清子、山本遺太郎両先生、いろいろな資料を提供して下さった井奥行彦さんに合せてお礼申し上げます。
一周忌にあたり遺稿集という感もいたしますが、岸本徹詩集としてお読み頂ければ、故人もさぞかし満足するところかと思います。
また、亡くなりました時以後の、数多くの皆様方からお寄せ頂きました暖かいお心づかい、冷ましの中で、いかに多くの人たちに愛され、支えられていた人なのかということをあらためて知らされ、深い感謝の気持ちを感じております。
残された者として、故人の生涯の仕事であった手帖舎を続けて行く決意を新たにいたしております。故人の生前と変わらぬご指導、ご支援のほどを、今後ともよろしくお願い申し上げます。
(「ご挨拶/岸本知恵子」より
目次
- 須磨
- 行 はりま灘(その一)
- ニメタノニクヲ、ミガンギヨメタ
- だから私はその夜一介へと
- わが忘失
- 街のはじめから
- とりあえず花ビンの花を取りかえたまえ
- ぼく流に示した風景の結末では 戦争は一本の街道に沿う家並である あるいは そこから折れて 妙にたかひくに散在するひとつ家をとらえる 定まった形では 浜に辿ると手前の茅葺きには石工が居あわせるのだ
- 「ジョリー」の前で
- さよみさきの拾い聞き記
- 竜ヶはなの拾い聞き記
- 獲ったイソギンチャクをどう処理したか
- 腔腸都市
- アカツメクサ、シロツメクサ その途方もない、昔
魂は瀬戸の茫洋に 永瀬清子
回想 山本遺太郎
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