2002年4月、朝日新聞社から刊行された小尻みよ子の句集。編集は朝日新聞大阪本社編集局内句集刊行委員会。題字は小尻信克。絵は小尻信克・小尻みよ子。著者は、朝日新聞阪神支局襲撃事件で殺害された小尻知博の母。
一九八七年五月三日の夜、我が家に晴天の霹靂ともいうべき、阪神支局襲撃事件が起きました。以来、私たち夫婦の誇りだった息子、知博を失った家内は、悲しみに打ちひしがれ、「何故、こんなむごい事を」と、毎日、毎日、涙しておりました。どうしようもなくむなしい思いから、「何故、何故」と繰り返すばかりでした。問うて答えが出る訳もありません。残された孫、嫁、そして我が家のこれからのことを考えると、とめどなく悲しみばかりが、湧いては消える思いの繰り返しでした。誰に訴えることもなく、胸に納める辛い日々が続きました。そんな中、ふと気がつくと、家内はペンを握ってチラシの端に心の思いを書き留めていました。それは季語もなく、俳句とはほど遠い、ただの五七五調の言葉の羅列に過ぎなかったのですが…。
事件から一年もすぎた頃でしょうか、当時の想いとして、たまたま、朝日新聞社の佐伯芳明記者(現愛媛朝日テレビ報道局長)に、チラシに書き綴った「句」を恥ずかしながらと見てもらいました。「どの句も母親としての心情が溢れて感動的です」。「恥ずかしがらずに、親しい方にでも読んでもらいなさい」。「これからも思うとおりの気持ちを綴って自らの励ましとわずかでも心の安らぎの糧としてください」と励まして頂きました。加えて、俳句には約束事があり、勉強されては、と勧められたのです。
一念発起、六十の手習いと、家内は公民館活動の俳句会に入会し、勉強を始めました。指導してくださったのは脇谷一司さん(「萬緑」同人)で、季語の一から教えてくださいました。習い初めて二年程、束の間の縁でしたが、先生は中国吟行旅行中、西安で客死されました。師を亡くしてからは、御近所の先輩達三人の俳句仲間と一緒に、批評などしてもらっております。自分の納得がいく句が出来ればいいなと、毎月一回、亡き先生のご縁で入った「萬緑」誌に投稿しては、自作が掲載されるのを楽しみに、日々、俳句にいそしんでいます。
知博を想い、チラシから始まった家内の句が、このたび、一冊の句集として世に出ることになりました。事件から十五年というのも、何かの縁と感じております。十五年という歳月、折りにつけ、何を感じ、伝えたかったのかを多少なりとも読みとっていただければ、これほどの喜びはございません。題名「絆」は「親子の断ちがたい結びつき」という思いのほか、「人と人との結びつきを大切に」という意味を込め、家内が考えました。最後になりましたが、勉強に、と数々の句集を贈っていただいた朝日新聞社の内海紀雄様はじめ、発刊に協力してくださった朝日新聞の皆様、故脇谷先生、句会の皆様に感謝いたします。
(「あとがき/小尻信克」より)
目次
句集「絆」発刊に寄せて 鈴木規雄
- 「萬綠」以前
- 「萬綠」以後
- 平成四年
- 平成五年
- 平成六年
- 平成七年
- 平成八年
- 平成九年
- 平成十年
- 平成十一年
- 平成十二年
- 平成十三年
あとがき 小尻信克