トルストイ 前田河広一郎

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 1947年3月、興風館から刊行された前田河広一郎(1888~1957)によるトルストイの伝記小説。

 

 この本のはじまりは、ある本屋から蘆花先生とトルストイを書いてくれないかといふ相談があつたときに萌したものである。書いてみたが、戰争のさ中で、それはたうとう陽のめをみづにをはつた。その原稿などどうなつたか。それから、四谷の家が焼け、どうやら千葉に避難したが、原久一郎氏譯のトルストイの本數巻だけは辛ふじて持ち出した。そんなわけで、あまり參考書などなく、あら席の上に生れた小兒のやうなこの小說である。これは小說である。傳記小說といふいやな言葉もあるが、私は傳記の方はなるべく省いて、人間夫婦の末の末の別れを考へてみる小說を書いてしまつた。それにしてる貴重な諸資料を提供してくれたビリューコフの停記と、大トルストイ全集(いづれ中央公論社版)に感謝しなくてはならない。考へてみると、この本も敗戰の子であつた。東京に胚胎して、千葉の雨漏りのする八畳の間で書かれ、病妻をかかへてそこを追ひ出されてから、北の涯の弘前で最後の部分が書かれた。『わしはどこへでも平気で行くが、ただ一つ必要なものは、物を書くだけの小さな部屋である』と、トルストイが口癖にした晚年の要求が、この小説の裏にもにじみ出てあるわけである。不治の難病に悩む妻は、末の娘の看護の下に、四ヶ月以上も國立病院にゐたが、この本の校正が出ると同時に死んでしまつた。だが、かうした個人的な出來事とこの小説とは何の關係もないわけである。
(「後記」より)

 

 


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