1946年6月、櫻井書店から刊行された大木実(1913~1996)の第5詩集。
前著「遠雷」以後の詩をあつめて本集を編んだ。「場末の子」「屋根」「故郷」「遠雷」に續いて私の第五詩集に當ることになる。
集中に「遠雷」といふ詩があり、また「故郷」といふ一聯の詩があるが、いづれも同名の前著からの轉載や拾遺でなく、新作であることをおことはりして置く。「遠雷」は苦しんで書き「故郷」は樂しんで書いた。私は一篇の詩に數年を費すことがあり、旬日にして數篇を得ることがある。前者の例が「遠雷」であり、後者の例が「故郷」である。そのいづれを可とするかは私の知る處でないが、そのいづれの場合をも愛するものである。
私はこれまで私のために詩を書いてきた。私の生活と、私の周圍の生活や風景を歌ひ續けて來た。そして狭いところから廣いところへ、暗いものから明るいものへ、次第に拔け出て來たやうに思ふが、さういふ私の詩がいくらかで私以外のひとびとに役立つことが出來たら幸ひである。
昭和十九年七月二日午前、本郷にて
(「後記」より)
四月十九日に佛印西貢をたち二十八日に大竹へはいつた。翌日は汽車に乘り三十日のゆふがた東京へ歸った。二年のあいだに東京もすつかり變つた。焼跡はところどころ耕され麥や野榮が植えてあつた。しかし住んだ下町は家み街も跡かたなく、路に遊ぶ子供たちの姿もなかつた。
昨日は急におもひたつて千葉の小さな町にゐる友だちに會いにいつた。風呂を貰い、着物を着せて貰つた。友と枕をならべて寝てから涙がながれて仕方なかつた。永いあいだ私は静かな環境と、ひとの情けに飢えてるたのである。こころは乾さ生活はあまりに荒れていた。
日本は美しい。
臨つて來て私の感じたのはこのことである。
戦いは敗れ、家は焼かれ、多くのものを失った後なほ殘る日本の好さ、生きる悦び――それは自然のなかにも、人間同志のあいだにも續いてゐる。それを守り、それを信じて、それから必私は詩を書き生きてゆきたいとおもふ。
詩集「初雪」を脱稿したのは二年前の若葉どさであった。一年前の若葉どきは本に成らうとして燒けた。そしてことしの若葉どさ、櫻井さんの厚意により二たび改めて世に出ることとなつたのである。
朝夕したしく眺めて暮した根津權現の榎は、ことし、若葉を裝けて美しい。滅びたものに熱い涙をおとした私はまた、健かに殘ったものにも熱い涙をぼえるのである。
昭和二十一年五月八日
(「二たび後記」より)
目次
・柿の木のある家
- 故郷
- 歸郷
- 柿の木
- 一家
- 故郷
- 柿の花
- 爐邊
- 家
- 祭りの日
- 厨
- 霰
- 井戸
- 村
- 家族
- 馬のゐない厩
- 猿蟹合戰
- 峠
・椎の若葉
- 二月の朝
- 春雷
- 梨の花
- 梨の花
- 椎の若葉
- 椎の木のあるあたり
- 裏山
- 欅
・初雪
- 初雪
- 落葉
- 手帖
- 稚な妻
- 寢顏
- 寢顏
- ねんねこ
- 巣
- かかる朝も
- 栖
- 竹笛
- 母になつた妻
・父の悲しみ
・山國
・花の勳章
- 紙の鯉幟り
- 春淺き日に
- 家族
- 菊の花
- 花の勳章
- 夜學の友
- 榮造
- 家
・湖
- 湖
- 池の見える部屋
- 手巾
- 花影
- 柿の實
- 雪子七歳