1988年12月、花神社から刊行された小田切敬子(1939~)の第6詩集。著者は神奈川県生まれ。「詩人会議」会員。表紙は尾崎ゆき子、題字は大門節子、写真は著者。
必要に迫られて、一夏、新庄の自動車教習所で過した。はじめ、はじき返されるかにみえたコンクリートの教場にも、宿や教場で出会った人々にも、いいようのない懐しさをおぼえるまでになった。
合宿場は鮎釣人の点在する最上川上流に面した湯の宿で、交通法規の自習をし、湯につかり、すると、もう、やることはなく、宿の傍の橋まで出掛けては、水の動きに見入っていた。多忙な日常から眺めれば黄金の刻であろうものを、もどってから開いた雑記帳に、交通標識の図にまじって書き散らされたことばを見れば、余暇が私に生み出させるものの、たよりなさを証ししている。
多分、考えていたことの大方は、あと一年も経ぬ中に五十歳になろうとしている自分に係わることどもで、例えば、魂の古里についてであったり、うかうかと過してきてしまった日々への悔恨であったりしたようだ。
水の流れにつぶやいたことの他の一つ「これからどのように生きていくか」は、まだ、霧のむこうの山のように、おぼろなまま。
拙い私のつぶやきを、版画にこめて下さった尾崎ゆき子さん、書にまとめて下さった大門節子さん、大いそがしの毎日なのに、願いをかなえて下さって、ありがとうございました。
(「あとがき」より)
目次
- 瀨見(せみ)
- 水源
- 小国川
- 船歌
- 三吉山(みよしやま)
- 鏡
- ほとりにて
- 蘇生
- 夜
- 行為
- 新庄祭
- 川の多いまちで
- 夢の底
- 雪国
- 翼
- 路上
あとがき