1972年12月、思潮社から刊行された粟津則雄(1927~)の評論集。装幀は田辺輝男。
私は、戦後の詩に対して、その出発当初から親身につきあってきたわけではない。身近に、「戦後詩」人と呼ばれる人間が何人かいたので、言わばその人間に関する好奇心から彼らの作品を読みはしたが、それを機縁として戦後詩全体に眼をひろげようという気持も別に起らなかった。私は私で「戦後詩」とは直接関係のない自分自身の問題にひどくいそがしがっていたのである。
だがそのうちに、彼らの作品や批評が、私自身の問題とささまざまなかたちで交叉し、とけあい、互いに照らしあうようになった。となると、偶然眼についたり、もらったりした作品を読んでいるだけではすまなくなるのは当然だろう。すでに大きな流れとなっている戦後の詩を、全体としてたしかめてみたいという思いが否応なく生じてきたわけだ。私が、自分の無知と無暴は重々承知のうえで、角川書店の「現代詩鑑賞講座」で戦後の詩史を書くにいたったのも、このためである。また、読売新聞で、二年にわたっての「詩壇時評」を書いたのも、多少接近の角度はちがうが、同一の志向から発している。言わば私は詩の歴史的展開を生かしながら、その誕生の現場に終始立ち会おうとしたわけだ。これはぜいたくなのぞみであって、果したなどという自信はないが、少くとも私にとって、この経験が、きわめて貴重なものであったことは確かである。
(「あとがき」より)
目次
- 1序論
- 戦後詩史
- 1過去への反省
- 2戦後詩の序幕
- 3「荒地」とその周辺
- 4戦後のプロレタリア詩誌
- 5戦前詩とのつながり
- 6純戦後詩の展開
- 7現代から未来へ
- 2各論
- 成熟と冒険 六十年代の詩
- 生と言語 六十年代の詩をめぐって
- 言葉と言葉を超えるもの 一九七〇年の詩
- 詩壇時評
- 1一九七〇年
- 2一九七一年
- 現代口語と詩人の努力
- 持続する生の解体 私の詩的戦
- 内部と外部
- 3補論
- 戦後の詩人
- 戦後詩の出発点
- 「荒地」の詩人たち
- 「列島」と「コスモス」
- <残酷>の象徴性」
- 「純戦後派」
- 「一九六〇年世代」
発表書誌
あとがき