消える湖 伊藤永之介

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 1959年2月、光風社から刊行された伊藤永之介(1903~1959)の長編小説。装幀写真は小川元生。

 

 「消える湖」は、家の光協会の雑誌「地上」に、昨年の一月号から十二月月号にわたって連載された。
 私の故郷秋田県八郎潟干拓問題をバックに、湖畔の漁民の生活現実を描いたものである。
 この作品の中で、湖畔の貧しい漁師たちが、永年の父祖伝来の生業への愛着から、干拓反対を叫んでいる間に、この日本の空前の大干拓事業はいよいよ着工されるに至った。私は元来、八郎潟干拓には反対であった。その理由はこの作品のなかにも述べられている。だがそれは、八郎潟を一大養魚池としたいという気持からで、若しそれが望めないならば、干拓して農地を造成することも結構であろう。そういう気持は、この作品のなかの干拓反対の漁農民たちも、等しく抱いているところである。
 湖が消え去ったあと一眸真っ平の美田が拓けたあかつきに、そこを耕やす入植者たちは、曾てここで漁業をしていた自分等の親、兄弟、知己たちは、こういう気持で生きていたのかと回想することだろう。
 八郎潟については、昭和十三年の夏に、湖岸のあちこちに泊りあるいて一巡した見聞をもとに、「湖畔の村」という長篇を書いたことがある。そのころは、干拓のことはそれほど問題になっていなかった。
 そういう私にとって、今や八郎潟が消え去ろうとしていることは、全く夢のような気がする。父祖伝来この湖で生きて来た漁師たちにすれば、そういう思いは更に切実であろう。そういう漁師たちへの共感が、この作品を書いた一つの動機になっている。
 誤解を避けるためにここで断って置きたいが、これは記録小説ではない。八郎潟を八竜湖としていることでも分るように、これは現実の干拓問題をモデルにしたフィクションであるということである。
 もう一つの作品「ポプラが丘」は、岩波の綜合雑誌「世界」に発表したものである。これもまた八郎潟の周辺の開拓村を書いたものなので「消える湖」に収録することにした。ここに描かれた開拓農民の生活現実は、これを書いて数年を経た今日に於ても、こういう状態から脱け出してはいないのではなかろうか。
(「後記」より)

 

目次

・消える湖

  • 氷下漁
  • 漂流
  • 春の吹雪
  • 渡り鳥
  • ちん入者
  • 遭難
  • 徒歩曳綱
  • 帰って来た男
  • 桜が咲いた
  • 八竜莊
  • 豊漁
  • 雁来たる

・ポプラが丘

 

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