女夫ケ池 津田信

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 1961年5月、大和出版から刊行された津田信(1925~1983)の短編小説集。表題作は第42回直木賞候補、「忍ヶ丘」は第44回直木賞候補作品。

 

 五年前に東京から湘南の海岸町に移り住んで以来、私は、雨が降らない限り日に一度、海辺を散歩することにしている。とくに新しい小説にとりかかる前は、家から五分とかからないので、幾度も渚まで足を運ぶ。そして、海風に吹かれながら波打際を行きつ戻りつしているうちに、私の頭のなかには、これから書こうとしている小説の情景が、少しずつ積み重ねられてゆく。
 夏、海水浴客で賑わう海岸も、シーズンがすぎると、うそのようにひっそりして、ときおり、地元の子供たちが相撲をとったり、キャッチボールをしていたりする他は、殆ど人影も見あたらない。ひとけのない浜辺の散歩に疲れると、私は、打ち捨てられた無人の”海の家”の柱に倚りかかって、ぼんやり海を眺め渡す。すぐ眼前に浮かんでいる江の島も、島と浜を繋ぐ辨天橋も、その背後にかすかに連なる伊豆の山脈も、もうすっかり見飽きている筈なのに、私は、立ち去りがたい思いで、それらの変らぬ光景を飽かず眺める。風の強い朝、どんよりと曇った午後、もうすぐ陽が沈む夕方――その日その日の、また、その刻その刻の天候によって、海は、色も波音も磯を洗う形も、それぞれに違うからである。そして、人間も、この季節外れの海のように、一見、なんの変哲もない平凡な日常を送りながら、やはり、ときとともに少しずつ変化してゆくものらしいと、そんな感慨に胸をひたらせ、寄せかえす波を損めて、己の経てきた三十余年の生活を振りかえり、そのささやかな変化を、静かにかみしめてみるのである。
 ここに収めた二つの小説も、こうした海辺の散策からうまれた。「女夫ヶ池」は昭和三十四年十月に、「忍ヶ丘」はそれから丸一年後の三十五年秋にそれぞれ書き上げ、どちらも「秋田文学」に発表した。私にとつては、どうしても書かずにいられなかった小説である。
 私はまだいくらも小説を書いていないが、とくにこの二つの作品には、強い愛着を抱いている。どちらも作者の身辺に材をとった一種の連作だが、あいだに一年の歳月をおいて、それぞれ独立した短篇として発表したので、一部に重複、或いは相違するところがある。一冊におさめるにあたつて書き改めようと思ったが、あえて筆を加えなかつた。「女夫ヶ池」から「忍ヶ丘」を書くまでの一年は、私にとって、やはり必要な一年だったからである。
 私はこれまで、書きたい題材を、書きたい時期に、書きたいだけ、書いてきた。その結果の是非は作者にはわからないが、今後も、この我儘だけは、なんとか貫き通したいと思っている。
(「あとがき」より)

 

 


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あとがき


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