1970年5月、思潮社から刊行された岩田京子(1937~)の第3詩集。刊行時の住所は相模原市。
帰国して間もない頃、二年ぶりで新宿の紀伊国屋に行きました。店内には、人びとと、騒音と、あつさと、わるい空気と、それからむろん本とがひしめき、詩の書架の前にも、結構数名が足をとめていました。
私はなつかしむべきでした。自分の国の言葉をつめこんだ本から立ちのぼるざわめき、他人と肩を並べて新しい本を覗きこむ日本の書店の楽しさを、私は、帰ったらまず訪ねたいものの一つに数えていたのです。しかし、私をうちのめしたのは、疲れと、とめどのない異様な失墜の感覚でした。
これだけのおびただしい本がすでに出まわっている以上、これに、あと一冊をつけ加えることに、どのような意味があるのだろう――一九六六年夏以降の作品をここに収めました。この詩集の成立に力をかして下さった皆さま、とりわけ、詩人・大江満雄先生、詩誌・木馬の西岡光秋さん、思潮社の小田久郎氏、カモメのカットで海の詩を飾ってくれた弟・明彦にあっくお礼を申しあげます。
私事にわたりますが、この詩集の発行日は、わたくしの結婚の日にあたります。幸福が他人に対してもつ残酷さを充分承知しながら、なお、この新しい契機を拓いて下さった方々への感謝をこめて、そのことをここに書きとめずにはいられません。
また、今年は安保の固定年限の切れる年であり、終戦の年に亡くなった母の年齢を私が乗り越えた年でもあります。生来もっていた優しさのために、結局若い死によってさまたげられ、母の果せなかったことを、今後いっそう自由に、すべての束縛を脱して追求してゆきたいと思います。
また、家を去るにあたり、幼かった私はじめおおぜいの兄弟を受け容れ、困難な時代を通じて、添らぬ強い愛情をもってこれまではぐくんで下さった現在の母も、私の心のなかに、亡母と同様に、ゆるがぬ地位を占めている唯一の母であることをしるして、感謝にかえたいと思います。
赤い革の表紙の手帖には
楽しいことだけを書きこんだ思わぬ不幸が見舞わぬように
あたらしい心配と二上山の山頂で聴いた
祈りのはしるのを覚えながら
(「あとがき」より)
目次
・鳥の歌
- 夕闇の道で
- 断層
- 懐病者の歌
- 異国の街で
- 一夜
- 手紙
- 島との別れ
- 遂に異質の風景の中で
・旅の歌
- 旅人の歌
- 湖畔で
- 北国へゆきたい
- 旅のはざまで
- ニューヨークまで
- ベルベデーレに
- ユングフラウ
- 閉じ込められて
- 夜明けに
・日々の歌
- 私の娘は
- 道
- 信濃町界隈
- 春の雪
- 午後
- ふるさと
- 大和再訪
- プールのそばで
- パンを焼く母
・海・七章
- 終日わたしは見て暮した
- 南端の島は大きな島と呼ばれ
- 芝生の庭が海に落ち
- レニングラードの尖塔が聳え
- 奇妙な岩の山を抜けると
- ふたりの前に海があった
- わたしも最近気がついたのだが
・訳詩 瀕死のカウボーイ
あとがき
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