1954年11月、啓文社から刊行された山本格郎(1913~)の詩集。装幀は川西祐三郎。
やつと作品をまとめる氣になつた。怠けがちな私に對して周圍の人々が切にすすめて吳れたので漸く重い腰をあげたわけである。この拙い詩集に収めたのは過去五ヶ年にわたるものから、無作為的に拾い上げた若干の作品である。
詩を書き始めてから二十余年になるけれども、今更私は自らの步いて來た道程の貧しさを悔いない。私には私なりの足跡がある。そして少くとも私にとつては消しがたい愛着を覚える足跡でもある。たのしいと思ふ。私は怠け者だから、日記といふものを書いても、絕對に永続きしない。しかし、私が過去に書いた詩を通讀するときに、まざまざと私の生活や思想のうつりかはりが、私の脳裡に走馬燈のやうに映し出されてゆく。實はそれは、他の人々から見れば下らないものであるかも知れない。けれども、少くともそこに嘘はない。たとへ技巧の上でどんな粉飾を施してみたところで、私といふ人間の姿は隠しおほせるものでない。詩を書くことの意義深さを感じると同時に、詩を書くことの恐しささへ感じる場合が少くない。
パンのための職業に日常忙しくしてある私にとつて、詩とは縁もありさうもないその仕事ではあるが、これをおろそかには出來ない。しかし、組織の中に自らをとけこまさねばならないその仕事は私個人のみの仕事ではついにあり得ない。そこに近代人の多くが擔つてゐる宿命を感じる。詩が離せない所以である。私の個は私の拙い詩の中で思ふ存分翼をひろげてゐる。
西條八十先生及び先生をとりまく「ブレイアド」の門田穣氏をはじめとするよき人々、「再現」の喜志邦三氏はじめ多ぜいの親しい人々、同じ芦屋にゐて何かとお世話になる吉澤獨陽氏、數へあげれば數限りない人々の鞭撻によつてこの詩集は生れた。
(「あとがき」より)
目次
・神の安息日
・動揺する海
- 霧雨
- 港の美学
- 動揺する海
- 喪心
- 倒錯
- 駅頭にて
- 蟹
- 近代聖書
- 美しい頽廃
- 夕暮れの海
- 雪をんな
- ひまはり
- お園
- 助六
あとがき