1982年4月、四季出版から刊行された瀬木慎一(1931~2011)の第3詩集。蔵本は亀倉雄策、書は篠田桃紅。
二十五年ぶりに、第三詩集を出すことになりました。わたしが詩を書くことを知って驚く人もあるでしょう。「戦後」も遠くなりました。処女詩集のつもりです。
この二十五年間というと、一九五〇年代の中頃からで、わたしの二〇代の後半以降ということになりますが、美術評論に専心し、あまりに多忙なため、詩壇との接触をほとんど失っていました。われわれの詩誌「列島」(一九五二~一九五五年)の廃刊後も、なお数年、関根弘、鮎川信夫、谷川俊太郎、長谷川龍生らと「現代詩」の編集に当ってはいましたが。
多忙な生活のなかで詩を書くのは、実に大変なことで、そんな時間はありませんでした。でも、この間、半ば本能のように、ちょっとした隙間を見付けては、なにかを書いていました。多くは旅行中に車中で、メモ用紙、つつみ紙、広告の裏、コースター、割箸の袋といったものに書いたものが多いので、書いたことすら全く忘れているものもあり、また、時間が経ちすぎてしまい、自分の息子が書いたようなものもありますが、時の流れを記録する意味もあって、そのまま収録しました。前半よりも後半に今に近いものを置きましたが、かならずしもそうではなく、たとえば、「劇場」はもっとも古く、最後の「失楽園」は一五年ほど前のもの、といった風にいろいろです。
なかには年時がはっきりと読めるものもあるでしょう。一冊にまとめるに当って畏友関根弘に通読してもらい、助言を得ました。
題名には悩みましたが、考えあぐんで、芥川龍之介が「羅生門」の扉に題した禅林の語句を借りて「愁」としました。篠田桃紅さんの美しい書で、それをごらん頂きたいと思います。「語らざれば愁い無きに似たり」とは、一体、どういう意味なのでしょうか。
わたしのおかしな詩に、十二人の友が絵や書をかいてくれたのは、焼しい限りです。装幀とレイアウトのすべてを、敬愛する亀倉雄策さんがやってくれました。
(「友へ――あとがき」より)
目次
・詩
- ゆうべ
- 風のなかで
- 海辺にて
- 朝
- 大きな川
- 女学生と老僧とわたし
- 日曜日
- 浅草
- 公園
- ある日
- 旧友
- 風
- デイト
- 森
- 劇場
- 友の死
- 春
- 月曜日
- イヴ・クラインに
- 美しい五月になって
- 雨
- ブルックナーの恋人
- 雨のピカソ
- 失楽園
・絵
友へ―あとがき
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