1970年10月。燎原社から刊行された堀川喜八郎(1922~2011)の第3詩集。扉絵は海老原喜之助。
人間にとって自分とは何だろうか。
私はそれを知るために、自分のなかにいるもうひとりの自分との対話をくりかえしながら、詩を書いてきた。そして、たえまなくゆれ動き通過していく意識の底に、すみついている私の敵が自分であり、詩であり戦争であることを知ったように思う。とうぜん、もうひとりの自分は複雑である。
詩集を出すたびに、崖から飛びおりるような思いをするが、こんども例外ではない。もうひとりの自分ともうひとりのたくさんのあなたとは、うまいぐあいに対話できるだろうか。いささか気がかりだけれども、しょせん、自分は自分以外の何者でもない。思いきって上梓することにした。
この本には、第一詩集「公園」以後、「惜日抄」に集めた分を除いて、そのなかから約三分の一を選び、二つの群に分け、それぞれ作詩年代逆順にならべている。ただ例外として、Ⅱ群の数篇は「公園」以前のもので、とくに「願い」は二十歳の作である。当時、この詩は「文芸汎論」の愛国詩特集号に掲載された。私としては、逆らうべくもない時代のあらしに吹き流されていく無力な若者の、せめてもの願いを書きとめたつもりでいたので、愛国詩と銘打たれてとまどったものだった。しかし、今読みかえしてみるとやはり、時代の風潮に毒されている感がしないでもない。
戦争体験につながるものとして、この本におさめたけれども、この本にいれなかった「公園」以後の残りの詩についても、私はまだ未練を感じて困っている。これもまた、自分のなかにいる親しい敵のしわざかもしれない。
初校終了後、扉絵をいただいた海老原喜之助画伯が、パリで亡くなられたことを新聞で知った。なんともさびしい気持ちでいっぱいである。生前のご好誼に感謝しつつ、つつしんで心からご冥福を祈る次第である。
(「あとがき」より)
目次
序詩・空
Ⅰ
- 鳥たち
- 常識論
- わが敵
- 親しい敵
- 訪問者
- 退屈な葬儀
- 呼びに来たら逃げるか
- 透明な秋
- 虫
- 伝令の夜
Ⅱ
- 馬たち
- 尋ねる
- 密林の足
- 冬野
- あすは他人
- きょうは曇天
- ラングーン港
- 戦死
- もめん針
- 願い
あとがき