筑紫萬葉散歩 片瀬博子 木原信

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 1979年2月、西日本新聞社から刊行された片瀬博子(1929~)と木原信(1914~2005)の紀行画文集。

 

 一昨年の春、西日本新聞社文化部から画家の木原信氏と組んで筑紫万葉散歩を毎週連載するようにとのお話しを受けて楽しい思いで応じた。散歩は性に合っている。しかも九州はわたしが生まれ幼年時代を過ごし、またこの十五、六年住みついた土地である。
 一昨年の夏から昨年十二月まで忙しい充実した一年半だった。筑紫すなわち九州の西は五島、東は国東半島、北は対馬、南は桜島と六十数カ所を歩いた。とりあげた万葉歌は七十数首。歌人は五十数人である。大伴旅人山上憶良を中心に大宰府に赴任してきた役人達、その従者、遣新羅使、防人、新羅征討のため西下された斉明帝に時の貴人がほとんど従っている。その中で額田王の歌をとりあげた。また柿本人麿も筑紫に足を印している。こうして万葉時代を普通四期に分けるが、その各期間の代表歌人額田王、柿本人麿、大伴旅人山上憶良大伴家持をとりあげることができたのは幸いだった。特に万葉集を編んだといわれる家持が高千穂の歌を残しているのは筑紫万葉の格調をひきしめている。
 こうしてみても、九州に残っている万葉集のほとんどは都からしばらくの間来て帰っていったもの、または旅人として立ち寄った者達の歌であり、土着の者の歌はわずかで、ほとんど民謡として伝承されたもののようである。
 九州に残っている万葉歌のその歴史的な背景や歌われた場所の精密な調査については権威者の方々の本が多く出ている。この本では〈何でも自由に、囚われないで書いて下さい〉という新聞社の御意向に感謝しつつ、気炎をあげたり、脱線したり、随分気ままに書かせていただいた。読者の方々もどうかそのおつもりで寛大に読んでいただきたい。わたしはこの本の題名を、万葉人と筑紫とのゆかりを中心にできるだけ広義にとらえてみた。その意味で冒頭の歌が直接この地で歌われていないものも稀にはあるがお許しをこう。また目次の地名の配列等、地理的というよりどちらかといえば歌についての主観によるものである。季節感も何しろ一年半にわたっているので、だぶったり前後している点お断りいたします。
 九州の地図に昔の国名を入れ、歩きまわった場所の地名を入れてみた。ただし福岡県は圧倒的に歌の数が多いのでそれには記さず別に福岡県のくわしい地図をのせた。参照していただきたい。
(「はじめに/片瀬博子」より)

 

目次

はじめに

あとがき

 


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