2008年8月、邑書林から刊行された高橋みずほ(1957~)の歌集。装幀は間村俊一。
並木道に沿って牧場がひらけ、その向こうに浅間山が聳え立つ。雪をまとうその山は、霞む空との間にうすい輪郭を見せていた。並木道を抜け、牧場に沿い曲がると、山羊たちは白く群れ、隣の柵に子山羊たちが柔らかな白の曲線をもって草に横たわる。東方の小高い山にのぼると、佐久平を一望できる。山に囲まれてすこし霞みがかったところに薄日がさして、反射光があちこちまぶしい。梅の季節の、まだ草木の芽吹きの間合いの、あわさにいると、ふと「しろうるり」という言葉が肌に馴染む。「しろうるり」を最初に耳にしたのは、祖父高橋俊人の三周忌にまとめた散文集の題名からだった。祖父が「菁藻」の主宰をしていたとき、「しろうるり」と名づけて文章を書いていた。これは、徒然草第六十段に出てくる。あやしげな、わからなさをもちながら、一度聞くとわすれない。不思議な言葉だ。
私が短歌をはじめようと思ったときに祖父はなく、祖父との出会いで短歌を志した加藤克巳に師事した。克巳は、祖父の言葉のもとをのちに離れてゆくが、祖父にとってしろうるりのような存在だったように思う。
克巳は、祖父の話をしてはすぐに涙ぐむ。しばらくぶりに訪ねると、少年の日に帰るように話しつつ声を詰まらせてゆく。言葉の奥に、思い出が湧き出しているようだった。つながりは、人と人の思いのあわいに、そっと育まれてゆくものなのかもしれない。帰りに庭の夏蜜柑をお土産にといい、杖をつきながら大きな蜜柑を摑み、強くひきつけて、捥いだ。撓った枝の揺れのなかから黄色の蜜柑を渡してくれた。ずっしりとした重みとともに門を出た。二つの夏蜜柑をもって振り向けば、いつまでも門の前に佇んでいる。あわい距離のなかで、私もまたしろうるりであり続けたいと思った。
(「あとがき」より)
目次
- 胸の森
- 凹み
- 齧られた空
- 盥の子
- 金の片(ひら)
- すがらに
- 霞に入りぬ
- 金魚のとどみ
- 地球の温さ
- 悲しい韻
- 歩の気配
- アカマンマ
- 白い田
- 時のふくらみ
- ひらくように
- 楊背
- 水族と人の息
あとがき