1989年2月、地球社から刊行された藤原菜穂子(1933~2020)の第8詩集。装画は黒須昇。著者は岡山生まれ、刊行時の住所は福島県白河市。
雪のやんだ朝、二羽の山鳩が庭に来て、ヒマラヤ杉の枝に巣を作っていた。しばらく、いたわりあうように庭を歩いていたかと思うと、やがて一羽が巣にこもって、てでっぽっぽーと鳴きはじめた。
次の朝、山鳩がいないので、庭に出てみると、まだらに残った雪の上に小さな卵が一つ落ちていた。私は卵を拾って巣にもどしておいたが、それっきり山鳩は二度と庭に来なくなった。そのとき庭は、いつもの庭でなく、みなれない場所に変っていた。
四、五年前のことです。私はながいあいだそのことを詩に書きたいと思っていたが、結局、書くことができなかった。山鳩の来た朝の庭が語っていた大切な何かを理解できなかったから……。
時の中で、この経験はくり返し甦り、私に一つの問いをもたらしてくれた。東北地方に来ていつのまにか十年の歳月が流れたが、私が生活しているいま、ここ北国の森のなかの鮮やかな四季の移り変りが問いにみちていること、それを問いとしてわかり受けとめることを教えてくれた。
ほとんど手入れをしない我が家の庭ではいろんなことが起きる。雪がとけてようやく咲きはじめたヒメコブシの花を鳥が喰い荒らすので、鳥の食欲を花からそらせようとパンや果物の屑を庭に撒いておくと、以前にもまして多くの鳥たちが来て、結局ヒメコブシは、満足に咲いた花は一輪もなくて口惜しい思いをしたり、ある夏の朝、植えたおぼえのない白い百合の花が咲いて驚ろかされたり、次の年にはオシバナが咲きはじめたり、今年はセンプリが群生したり、近くの森や畠から風や鳥が種子を運んで来たのだろうか。
そういう読みとりにくい鳥の足跡が詩のなかに残されていればいい。異類の指紋がついていればいいと願うのです。それによって詩は、山鳩のきた朝の庭のように新鮮な問いを持つことができるのではないかと。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- いずみ
- 七本のシロヤナギとナナカマド
- 明けがたの樹の声
- 五社堂への石段
- 夢の種子
- みちのくの森
- 昏い渕
- 白い頭布をかぶったものたちが
- 雪の南湖
- 古墳
- 耳をすましているのは
- フォアン・ミロでなく
Ⅱ
後記