2008年10月、書肆山田から刊行された木村迪夫(1935~)の詩集。装幀は菊地信義。第16回丸山薫賞受賞作品。
少年期、村暮しは嫌だった。顔もなく、言葉も持たず、地深くもぐったままの、うじ虫にも似た百姓暮しは、なおのこと嫌いだった。
夜ごと野の原の土堤に仰向けに寝転んでは、星空をながめ、おのれの運命を嘆いた。
小農のうえに、父親はすでに戦死し、若くして後家女になったお袋との百姓暮しは、耐えようもなく辛かった。またたく夜空の星を指差しては、父親の星と見定め、怨みつづけた。
貧乏はさて措いて、少しでも人間らしい生きざまと暮しを手にしたい。ひと言でもいい、日常の中から言葉を発見し、無名百姓の生きた証としたい、と思うようになったのは、何時ごろからであったろうか。
夜、枕もとに一枚の紙と一本の鉛筆を置いて寝床に着いた。朝から晩までひたすらに土に向い、土と抗う疲労の中から、ひと言でも自分に見合った言葉を捜しては、枕もとの紙片に記した。疲れて、長いものは書けようはずもなかった。一行でも二行でもよい。それが今日を生きた自分の記録になれば――そう信じこみながら書きつづけてきた。それは、まさにみみずのたわごとのような言の葉であるにせよ、そこに百姓などよりは、人間としてのおのれ――、人間などではない百姓の日常生活が、刻まれておればよいと思った。
あれから六十年の年月が経った。いまでは老農と言ってもおかしくない年齢となった。村暮しも、稲叢の根元でかすかに光る希望のごときを感じることができるようになった。
村も農業も、この年月に大きく様変りをした。村びとの誰もが、世の仕打ち、世界の痛みに打ちひしがれたごとく、背をかがめ、腰を曲げながら、抵抗しつっ生きている。
外聞としては聴こえようもない無音の声が、怒濤となって村を被いつくしているのが、わが耳にははっきりと聴きとれる。
(「あとがき」より)
目次
- 立ちあがる木
- 園地(はたけ)のうた
- 雪の降らない冬の日は
- 霊山(たまやま)の
- 夢の棲処
- コメのなる葉
- イッポンの農道
- 雪ぐれの路
- 樹のうた
- 火の畑の端で
- 雨と稲の穂のバラード
- 雪の畑の真中で
- 雨
- 祈りの島へ
- デコポン
- 朝の笛
- 恋の季節
- 鎌のゆくえ
- きらめく日々
- 予後の小径
- 帰郷のうた
- 夜の野へ
- 光る朝
- 追憶の夏
- 夢を掘る
あとがき