1981年8月、櫓人出版会(ねじめ正一)から刊行された倉尾勉(1950~2002)の第2詩集。装幀は秋山法子。付録栞は、青木はるみ、阿部岩夫、鈴木志郎康。著者は和歌山県辺路町生まれ、刊行時の住所は八王子市。
ある日、私はいま住んでいる東京都下、八王子の周辺を歩きながら、宅地造成地の一画に立っていた。山は削られ、かって、林野だった土地は区画整理され、ニュータウンとして売りに出される。それは当然のように自然の生態系を変え、草むらを死滅させ、あとに、何紀もの地層をはじめて露出させた崖を残していた。
私が生まれ育った南紀の山村はすでに崩壊し、その後、移り住んだ街もはげしく変貌しつつある。かって、それがあった場所は別のものになりかわり、街の変貌は東京に住みはじめて十数年たった私の変貌をはるかにしのいでいた。
私もまた、変貌を耐え、生き延びていくひとつの生でありたい。七六年に前詩集「草分けの家」を出したあと、詩からはなれるように書けない状態が続いた。それは七〇年代後半の解体され尽くした状況ほどに、苦しく、私にはあったようである。だが、しばらくすると、詩からひきもどされるように、また書きはじめていた。この詩集にみえる、草への関心は前詩集以来続いている。それは私が生育した南紀の山村農民の子の眼に映った草であり、現在、私が棲息する街の草でもあり、どこかの地面で発芽を準備している種子の未来でもある。その草の原形質にあるものの生命の輝きともいうべき内質を、生きるようにやわらかく、私の現実の生活にある生きさまとして描いてみたかった。
また、この詩集の背景には、かって、私が卒業した日本文学学校に、創作科、鈴木志郎康氏の組会のサブチューター(助手)として、再び通うことになったことがあり、それが、自身の詩を考えなおすあらたな契機となった。それはいまも続いている。この詩集の大半の作品はそのひとつの過程として、組会から生まれた。
その過程にかかわって、この詩集のしおりで書いてくださった鈴木志郎康さん、阿部岩夫さん、青木はるみさん、本書を刊行してくれた組会の仲間である櫓人出版会のねじめ正一さん、山崎ヒロ子さん、装幀の秋山法子さん、本書の刊行を支援してくださったかたがたに謝意をおくります。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 郊外
- ひまわり
- 草むらの生体
- 花の実
- 草の旅
- 秋の死
- 行路病者
- 郊外
- 四月の耳
Ⅱ 夢の家
- 藁の年代記
- 夢の家
- 火の村
- 屋上で
- 河口へ
- 小屋で
Ⅲ 河原で
- 鉱脈
- 雪の日に
- サーカス
- 走る家
- 十二月の声
- 解説板の文字に
- 鳥を撃つ
- 夢の野
- 河原で
あとがき