1985年10月、花神社から刊行された池田實の詩集。
人は一生の間にいろいろの風景を通り過ぎていく旅人であると共に風景そのものとなる存在である。生まれそして死に、長い年月の後に風化し、終には混沌に還っていく存在である。誕生の日から人は共通の日常という風景の中に棲み、その枠の中で生活する存在であるが、夫々固有の風景を発見し独自の精神風土を創りあげていく精神の旅人でもある。この精神の旅人は、常に永遠を志向し、現実の日常生活の中に埋没することを好まず、自由に精神の翼を羽搏かせている。文化を支えそれを後世に伝承していくのは、多くの場合これらの旅人である。ところで日常という風景の構造は、時間や場所の推移によって殆ど変化することのない画一性を持っている。特に現代に於てそれは顕著である。人はこの日常の画一性から、一時的にでも逃れようと旅行に出るが、その先々で経験するのは同じような日常である。死者となっても生者の日常の論理によって管理されている以上、日常性から脱却することはできないのである。人は自分自身の存在の日常性即ち自分自身が日常そのものであると自覚したとき、初めて精神の旅人として、日常性から脱却でき、永遠を垣間見ることができる。というのは日常の生活環境がどんなに変化していても、日常の構造は殆ど変わることはなく、その中で時間は無限に停滞していて、そこには時間を越えるもの即ち永遠そのものの存在が考えられるからである。このように日常は永遠を含み同時に永遠は日常を含むという表裏一体の関係がある。永遠の今とは日常そのもののことである。精神の旅人は、このような日常という風景の中の住人として永遠の今の存在者であるが、その定型的枠組からの脱出を常に試みて倦まない旅人即ち風景の中の旅人である。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 散歩から旅へ
- 歩く
- 散歩
- 旅
- 観光旅行
Ⅱ 日常
- 日常交換車
- 日乗
- 鰯
- 言葉の苦さ
- 艶めく
- 拘泥りし思惟
- 厳めしき顔
- 飽食
- 鏡
- 死角
- 影
- 過去1
- 未来
- 釣人
- 鬱々と
- 信号が青に変わったとき
Ⅲ 家族
- …1
- 諍い
- 水子供養
- 睦む
- 放尿
- 兄と妹
- …2
- 仮面
- 椅子
- 父を売る
- 聖家族
- 老いる。
Ⅳ 花のある風景
- …3
- 咲ひ優しき
- 夜会
- 比喩なれば
Ⅴ 物たち
- …4
- 卵
- カノポス壺
- 金のペルソナ
- 家具
- 痩身の像
- 空瓶
- 実在
- 林檎
Ⅵ
- 雲雀よ
- 黒揚羽
- 意志の収斂
- 冴えて響けば
- 神
- 黙示鋭き
- 五月
- 寂しい男
- 夕映
- 愛らしきペニス
- 雲
- 静謐
- 目
- エロス
- 意志
- 魚の幻
- 化石
- メービウスの帯
Ⅶ
- 躊躇う
- 一つの世相
- 政治家
- 紫陽花の咲く六月の閲歴
- 逆說
- 墓地
- 死
- 死者
- 骨揚
- 過去2
Ⅷ
- 豊穣
あとがき