街の百姓 真壁仁詩集

 1973年4月、郁文堂書店から復刊された真壁仁(1907~1984)の第1詩集。付録栞は神保光太郎「上衣を脱ぐ」。画像は普及版。底本は1932年北緯五十度社版。

 

復刊にあたって

 『街の百姓』は、四十年前の僕の詩集である。雑誌「生活者」「濶葉樹」「流氷」「至上律」「北緯五十度」「犀」などに発表したものの中から自選し、二部に分けて編集した。それを釧路の弟子屈(てしかが)におった更科君がガリ版におこしてくれた。
 力のこもった字で一頁二十四行も書きこまれている原紙が送られてくると、僕は愛用の謄写器で刷りあげた。それから針金で綴じ、黒いラシャ紙の表紙にハトロンの見返しを貼りつけて製本した。題字を活版印刷にかは何から何まで手づくりで、百部の限定版ができた。限定しようと思ったのではないが、古びた謄写版だったから、百部刷ると原紙は破けたのである。
 昭和七年のことで、発行日の三月十五日は僕の誕生日である。これを出すのには、じつは少なからぬためらいがあったし、おそれのようなものもあった。出したあとも、これを自分の第一詩集に数えまいとする気持がしばらく続いた。
 第一部と二部とでは、詩想も詩法もかなりちがっている。冒頭の「ゴッホ礼讃」に一九二六年と制作の年号がはいっているが、これはそのとき僕が十九歳であったことを示している。それから五年間の詩が年代順に並んでいる。一部は幼く、二部は粗野である。いまこれをふたたび刊行するについても、ためらいなきをえない。しかし、考えてみると、その後の僕の詩と思想の原形式は、幼いなりにすべて、この詩集の中にあったといわなければならない。それを自ら否定することはできない。
 忘れがたいのは、最初に出すときに編集、刻字、発行の仕事をみんなうけもってくれた更科源蔵と、山形に在って雑誌「犀」をいっしょに刊行しながら絶えずはげましてくれた長崎浩の友情である。
 こんどこの詩集の復刊を企劃し、すすんで出版にあたってくれたのは郁文堂主人原田吉男さんであった。出版が決まってからは、割付け、校正、造本のいっさいを渡部磯太郎さんが担当してくれた。これらのひとびとの手で、はしなくも四十年の歳月の糸が紡がれたのである。心からお礼を申しあげたい。

一九七二年十二月六日

真壁仁

 

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