1957年10月、三笠書房から刊行された蜂須賀年子(1896~1970)の随筆集。画像は裸本。
敗戦で、日本の華族はほろんだが、世界でも、貴族制度の残っている国は、だんだん減つてくるようです。今にすつかりなくなつてしまうでしよう。
しかし私のように華族に生れた人間ではなくてもかつてこの地上に存在した貴族(華族)の生活、習慣、伝統などがすつかり抹殺されて、わからなくなつてしまうのは惜しいと思う。ロマノフ王朝のことどもでも、共産革命の後、彼の国では何一つ資料を残さなかつたらしく、もう世界の人の記憶からすつかり湮滅したようで、ただ一ツアーの皇女で、英国のある伯爵家に嫁いだ人が「プリンス・オブ・ロシア」という本を書いたのが、わずかにロマノフ王朝の生活の雰囲気をしのばせるきりのようです。
貴族の存在や生活を讃美する人も、否定する人も、歴史として、事実としての貴族生活の資料は必要だろうと思う。
私はマッカーサー滞日当時、司令部のウイーラー、バンカー両大佐から、躾の本を書くようにといわれたことがあつた。また、日本の貴族の風俗、習慣を書いてはどうかとすすめられたこともあった。終戦のあとのあの混乱の時期の中では占領軍によつて打倒された日本の貴族階級の姿などは、たちまち雲散霧消してあとをとどめなくなつてしまうと思つたからであろう。
ところがそのような杞憂は、むしろ終戦から十数年たつた今日になつて、事実となってはつきりしてきた。
社会の混乱が表面的にはおさまった今となつて日本の国に貴族というもののいないことが当然のこととなつてきたようである。戦後の人々には日本の貴族が何であつたかは全然知られない。またそれが自然かもしれないのだが、そうなると私などは、今のうちに自分のこの目で見、この体で体験してきた日本貴族の姿というものを書き残しておきたい。それは読み物としての興味もあるかもしれないが、日本の歴史の一側面として必要な資料となるものと信ずる。
金魚鉢の中での不思議な生活、自分自身では当り前のことであり、またそうあるべきことと、何の疑いもなく受け入れていた大名華族の生活――明治、大正、昭和の三代に亘るその特別な生活は、私自身にとつてはなつかしい思い出のこもるものである。折にふれて書き続けていくうちにも、過ぎ去つたまぼろしの中に浮ぶ自分の姿は、ずいぶんなつかしい、愛しいものであるが、読み返してみると女ながらも総領娘として厳しく叩き上げられた私自身の過去の生活の中には、単に面白おかしいばかりでなく、何か皆さんの生活の役に立つように取り入れていただけることもあるかとも思うのである。
(「まえがき」より)
目次
まえがき
・幼い日の思い出
- 悲劇のヒロイン
- 知られざる秘密
- 三十人のお妾さま
- 悲しい「おきて」
- 日本のハレム制度
- お幸さんへの追憶
- 大名華族の結婚
- 姫君「性」教育
- 大名の子
- 二千坪の邸宅
- 母の愛
- 白い蛇
- 母の信仰
・家宝物語
- 父の孤閨
- 理由のない失踪
- 「おおと様」の一生不婚
- かなしい反抗
- はらみ観音
- 生きていた伝説
- 大名生活
・ふしぎな世界
- 貴族の猫舌
- 下されたんす
- よき時代「明治」
- お女中の生態
- 「女牢」の悲話
・私の青春
- 華族女学校
- 聖心女学院
- ある祈祷師
- カエル嫌いの遺伝
- 庭の思い出
- 家門か人間か
・姫君修行
- エレガントの苦しみ
- 小笠原流オンリー
- 服装・化粧・歩き方
- 心のふるさと
- 十二人の家庭教師
・「斜陽」の歌
- わが父祖・わが家系
- 「尊語集」という本
- 火伏せの杉戸
- 日本の夜明け
- 蜂須加農場
- 華族解放