伊波南哲詩集

 1960年11月、未来社から刊行された伊波南哲(1902~1976)の詩集。

 

 最近、どういう風の吹き廻しか、私の郷里の恩師や先輩知友から、今年は何をおいても、詩集を出版して欲しい、という矢の催促があった。
 私にしてみれば、強いて詩集を出版しなくとも、私の著書やその他の作品が、詩的エスプリに貫かれているので、それでよいのではないかと自己満足していた。しかし、故郷の人々にいわせると、一昔前に詩集を出版したきりで、沈黙しているのはけしからんとの厳しい鞭撻であった。私はこれらの愛の鞭に、嬉しい悲鳴をあげながら、詩稿を整理して、出版に乗り出したというのが本音である。
 私の詩暦は、昭和五年「詩之家」出版の"銅鑼の憂欝"、昭和十一年「東京図書株式会社」出版の"長篇叙事詩オヤケ・アカハチ"(映画化)、昭和十七年「ぐろりあ・そさえて社」出版の"麗しき国土"で終っている。
 そうしてみると、今度の詩集は、足掛け十九年ぶりの出版である。なるほど、十九年も詩集を出版しないでいると、それでおまえは、詩人かといいたくもなるであろうし、また若い人々は、私を詩人として認めがたいであろう。
 以上の批判や観点とは別に、私は発表こそしないが、多くの著述やその他の原稿執筆の合間に、時に触れ、折に触れて、こつこつと詩を書き続けてきたので、急に詩集を出版するようになっても少しも困らなかった。
 戦前、戦時中、戦後の詩篇をまとめてみると三百篇を越していたのであるが、厳選して百二十篇を編むことにした。
 その中には、既刊詩集からも好きな詩を抜いて加え、戦時中の詩は割愛して、戦前戦後だけにし、都会篇と郷土を各々六十篇にした。
 都会篇、郷土篇とも、戦前の詩は夢見がちな、ロマンチシズムが主体をなしているが、終戦直後、故郷沖縄に引きあげてみると、戦い敗れて痛土の丘と化した悲惨な変貌はまだしも、アメリカの軍事基地化した沖縄しかも、祖国日本から切り離されて、異民族の施政権下におかれた郷土を見て、悲憤やるかたなく、息詰るような思いがした。
 やりきれないので、五、六年後、東京にカムバックしてみると、戦後の東京は私にとってあまりにも冷めたく、貧困のどん底に喘ぐ日が続いた。
 それでも、かぼそい詩の灯心をかきたてながら、辛うじて生きてきた。そこで戦後の都会篇に、それらの苦しい生活感情の真実が歌われているのは当然であろう。
 生活がようやく軌道に乗ってからは、貧乏の詩から足を洗って、風物や人情を歌うようになったのであるが、それらの心境のプロセスを、順を追うて編むことにした。それは、郷土篇における戦後の詩の場合も同様である。
 私は、どちらかといえば郷土詩人であって、故郷沖縄の神話、伝説、風物、人情、芸能の郷土文化を、甲羅のごとく背負って、都会の街を歩いているので、都会を歌うときと、郷土を歌うときとでは、詩の発想と情熱に相違がある。つまり、私は郷土を歌うときにのみ、感覚がさえ、民族的な血がわきたって、詩情に油を注がれ、点火されるような気がする。
 「この詩集で、私が最も心惹かれるのは『郷土詩篇』であった。此処では言葉に乗りうつった詩の本質が、脈々と生きて露のようなものに濡れている。恩納ナビとかいう往古の国民詩人の詩を感じる。
 かかる詩の国に生れた伊波南哲君の詩が、今後さらに大きく、億兆の声となる日の来るよう念じてやまない。」
 これは、私の第三詩集「麗しき国土」に寄せられた、今は亡き高村光太郎氏の序文の一節である。詩は、高らかに歌うべきものであると思う。詩は、おのれの心の命ずるままに、そのときどきによって、自由な表現形式の衣裳を着るべきであって、流派を固守し、一定の形式やカテゴリーの殻にとじこもって、韻律を硬化せしめてはならないと思う。
 詩を公表し、詩集を出版するからには、一般読者に理解され、愛読されるようなポピュラーなものとし、それがやがて億兆の声となるように、心がけたいものである。
 私は野人であり、常に原始の、そして百姓の魂をぶらさげて歩いているので、泥くさい詩集であるかも知れない。それでよいと思う。
 私は借りものの、よそ行きの衣裳では出歩かない。だねから私は私のアクセントや、セリフで高らかに歌い続ける。
 さらに私は、生来、楽天的な性格を持っているので、如何なる人生の苦悩にぶつかっても、それが私の魂をついばまないうちに、肩から滑りおちてしまうのである。そんなわけで死に直面する、ぎりぎりの深刻さを歌っていても暗さがない。南国人特有のものであろうか。
 今度の詩集の題名を「伊波南哲詩集」としたのは、私が過去三十有余年、貧しいながらも歩んできた詩の茨の道の足跡であり、全貌でもあるので、決定版にしたかったからである。
 私の眠れる詩心を呼びさまし、詩集出版を勧めて、予約申込みをして頂いた郷土の人々、在京の郷友や友人に、ここで衷心より感謝する。
 特に八重山毎日新聞社の物心両面の後援を肝に銘じておく。
 さらに、詩集出版を心よく引き受けてくださった馴染深い、未来社の社長西谷能雄氏にも、併せて感謝する。
(「後記」より)

 


目次

・都会篇

(戦前)

(戦後)

  • 花曇り
  • 貧乏
  • 苦悩
  • 古靴
  • どん底
  • 師走
  • 木枯し
  • 火吹竹
  • プラカード
  • 祈り
  • 家なき人の子
  • 悪魔
  • 無一物但し無尽蔵
  • みのりの秋
  • 不思議な恋人
  • 青い思想
  • ヨット
  • 森の細径
  • 私の住い
  • 朝顔
  • 夏よ、さようなら 
  • 秋(一)
  • 秋(二)
  • 秋(三)
  • 秋の顔
  • 秋の音楽家
  • 彼岸
  • 晩秋
  • 初冬
  • 郵便
  • 大雪原風景
  • 白髪
  • 燃ゆる大地
  • 孤独
  • 恋愛
  • 危険な猟人
  • 緑の騎士
  • 郷愁
  • 縁起
  • 人間

・郷土篇 

(戦前) 

  • ふるさと
  • 南には何かがある
  • 首里古城
  • 波の上宮
  • 銅鑼の憂欝
  • 銅鑼は鳴る 
  • 裕樹の精 
  • 洞穴井戸詩篇
  • 臼太鼓 
  • 万座毛 
  • 巻踊り
  • 弥勒菩薩
  • 仲筋のヌベマ
  • 彗星
  • 青い乳房 
  • 棕櫚
  • 梯梧の花 
  • 蒲葵
  • 檳榔樹 
  • 母の乳房 
  • 五月の太陽
  • 讃、与那国島
  • 出船の哀歌
  • 横笛
  • 福木
  • 宿借
  • 島の夕焼
  • 鴉の王国 
  • 海の法則 
  • 少年像 (1)
  • 少年像 (2) 
  • 白き貝殼

(戦後)

  • 那霸夜景 
  • 首里の月
  • 辻町慕情 
  • 故郷の人々 
  • 地獄絵図
  • 浮かれ胡弓
  • 君、酔い給え
  • 狂った世界
  • 泡盛
  • 蛇皮線
  • 芋畑にて
  • 日の丸
  • 薄明
  • 芭蕉
  • 九年母
  • 竜舌蘭 
  • 想思樹
  • 人世
  • 大地の愛
  • 讃美歌
  • 歌わざる詩人
  • 仰ぎ見る聖樹
  • 難破船
  • 浜千鳥
  • 雲は天才である
  • 自由の天地へ
  • 大鷲の歌 

後記


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