悪い詩集 又は詩的湯物論神髄の大盛 マルクス主義全詩集 安里ミゲル詩集

 2006年12月、スペース伽耶から刊行された安里ミゲル(1969~)の第3詩集。

 

推薦の冥利 長谷川龍生

 安里健さんの詩人としての態度は、聖と俗を併せ持っていて、うらやましいかぎりのものです。日本、亜細亜を広く見わたして、これほどの社会に対する機能をはたらきかけている詩人は珍しいでしょう。しかし、珍しいとばかり悦に入っているわけにはいかないのです。あとにつづく詩人たち、若者たちがぞくぞくと輩出しなければなりません。
 日本は、不幸にも、今はファシズム体制に突入しました。日々の生活に警戒をよくし、詩人の本音で考える場を、構築する必要があるのです。貧富の差がひどくなり、弱者が倒れていっています。私たちも、弱者の一群の中に存在するわけですが、割りきれない思いで、日日、不安と恐怖のうちに呻吟しているのです。
 安里健さんの数篇の詩作品には、バイタリティ、オリジナリティ、パーソナリティが、きわどく育っています。そして、権力に対して、徹底的にたたかいの作業をつづけているのです。私は、半世紀以上、現代詩に対して仕事をつづけてきましたが、安里健という詩人のスタンスに教えられるところが大であります。つまり、目が覚めるわけで、さらに冴えてくるのです。

 

 

 第一詩集の刊行から十八年たった。そのときは十九歳だったから、私は今年で三十七歳になるわけだが、二十一歳から三十一歳までの十年は、自分がかつて「詩」なるものを書いていたという事実すら記憶の底に埋もれていた期間なので、そのぶん日常生活上の充実があったとはいえ、プロレタリア詩人としての実年齢は二十七歳ということになる。だからどうということでもないかもしれないが、ともかくそうである。
 で、これが最後の詩集である。これからはきちんと会議に出席したり、必要に応じて普通の文章が書ける活動家になりたいが、無理であろう。再婚くらいはできるかもしれないが、めんどくさい。いちばんいいのはゴロゴロしてるあいだに詩集がどんどん売れることだが、困難であろう。

やがてはそうなるであろう
しかしなるであろうか
しかしなるであろう
(中野重治「その人たち――日本共産党創立二十五周年記念の夕に――」)

 これはまあ、共産主義社会についていってるのだろうが、私は十四のころから、共産主義社会を人類が到達すべき理想状態であると見なしたり、またそのようなものとして「共産主義」が捉えられたりすることに、ある抹香(宗教)臭さ・思想的鈍臭さを感じていた。だからどうということでもないかもしれないが、ともかくそうであったし、死ぬまでそうであろう。
 それでは良い子のみなさん、さようなら。
 なお本書の刊行費用に関しては、厚生労働省失業給付金からの援助によったことを付記する。定価は皇紀にちんだ。前詩集『詩的唯物論神髄』(並)がこの半分以下のページ数で二五○○円だったことからすれば、激安だと思う。
(「後記」より)

 

 

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