2016年2月、洪水企画から刊行された平野晴子(1942~)の詩集。装幀は山本萌。著者は山形県出身。中日詩人会所属。
病を得た夫のことは書きたくなかった。書くまいと思っていた。病名を告げられてから、七年間書けなかった。日常生活のあくせくのなかで書いていた私にとって、いつかは書く成り行きだったのかも知れない。ためらいの中で一つ書くと、ためらいが薄れ、夫と付き合う大切な方法となっていった。作品のほとんどは、ここ二年の間に書いたものである。
夫の発する断片的な言葉、繋がらない行為、職場への執着、居ない人が立ち現れる妄想は、老いた脳と萎縮した海馬そのものの姿なのであろうか。言葉の瓦礫のような断片を拾うと、欠け口から、傷ついた真実のようなものが鈍く光っているようで、はっとさせられたりした。何の疑問もなく使用していた洗面所やトイレでの戸惑い、奇妙な行為は厄介であったが、日頃から時代遅れの人だったのでと諦めながら、ちゃかり題材にしてしまっていた。許されると思いたい。
(「あとがき」より)
目次
- 黎明のバケツ
- 水のゆくえ
- 仲良くだけは出来るよ
- 祈り
- 初雪
- おしっこの哀しみ
- 狭き門
- 捨て台詞
- 鏡
- 一昨日の前の日死んだのに
- 来なくても来たのなら
- 先生の手
- 柿ノ木に括られた話
- つくつくぼうし
- もうじきいくこともしらず
- 桃
- 百円玉
- 明日の工程
- 男の決意
- 秋の日の縁側で
- 薬の副作用(1)
- 薬の副作用(2)
- 鶏頭の子どもたち
- 捜しもの
- スリッパと耳
- 家路
- ぼだいさった
- 高野聖
あとがき