ふたつの春 増田みず子

 1979年9月、新潮社から刊行された増田みず子の短編小説集。装幀は東芳純。第1著作集。

 

 小説より以前、かなり長い間私の心を領し続けたのは生物学である。自分が何をどう考えるかということよりも、なぜ物を考えるかという疑問へのこだわりが強かったからだ。人が物を考えるメカニズムを、生物学的に知りたかったのだが、人間の大脳の反応は相当に複雑であるらしくロゴスのみの追究では手に負えないこともわかってきた。まことに素朴きわまる図式だが、パトスの力をも借りてこれを追究しようと試みたところに私の文学が生まれてきたもののようだ。
生物として見れば、人間は、環境に適応するためにそれこそ奇跡的なほど自己の内部の生理を精妙に調節するという機能を有する。人体のその殆んどの部分は外界とのバランスをとるための制御装置で満たされているといっていい。何を考えようが、ただ生きて在るということだけでその精妙な機構は私を感動させるものを持っている。
他者との意見の相違に苛々することもバランス機構の一つであり、自分だけがいつも他者と違う意見を持ち続けるというのはその機構に異状があるせいなのかもしれない。そんなあくことのない自分への問いかけのうちにここに収めた五篇の小説は成ったといえる。私自身が生理的にも精神的にもバランスを失ないやすい人間であるために、ヒトがバランスを失ないかける一点を見つめて小説を書く。生物学からも小説からも、なぜバランスの壊れるようなことを考えるかという設問への私自身の答え
はまだ出てはいないが、問い続けていくうちに、ひょっとした加減でそれがうろうろと迷い出てきてくれるかもしれないというはかな期待は、私のうちにまだ失なわれてはいないようだ。
 本書を上梓するにあたっては、小島喜久江、斎藤暁子両氏を始め、新潮編集部の方々、出版部の藍孝夫氏に大変お世話になった。深甚の謝意を表したい。
(「あとがき」より)

 


目次

  • 死後の関係
  • 個室の鍵
  • 桜寮
  • 誘う声
  • ふたつの春

あとがき


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