1994年10月、夢人館から刊行された相良平八郎の詩集。装幀は林立人。ふめひと詩篇1。
詩集『飛ぶ少女』の著者相良平八郎は昭和六十年頃より手首、指に痛みを覚え、書くことが不自由になった。昭和六十二年パーキンソン病と診断され投薬を受ける。投薬の種類は増える一方であったが、症状はすっきりせず、平成二年には筋固縮、仮面様顔貌等の症状が出、歩行、言語に障害が現れた。
そうした中、平成三年に詩集『地霊遊行』を上梓、書くことはすべてワープロを使用するようになった。平成四年に車椅子の人となったが病気の進行は早く、翌年にはワープロを打つことも困難となり、原稿はすべて夫人が口述筆記をすることになった。意志の強い著者はその間にもこの詩集にまとめた詩篇を整理し、出版を心がけていた矢先、平成五年十月肺炎をおこし救急入院。十日後意識不明の状態となる。呼吸困難のため気管切開、レスピレーターを使用、意識の戻らないまま今日に至っている。広島の地にあって常に新しい詩に挑戦し、また若い詩人の育成に力を注いできた著者が、戦いのための弓矢を地に置き、いまは生きて在ることに専心しているのを力づけたい。友人一同の協力を得て、ここに彼がすでにまとめあげていた『飛ぶ少女』を上梓することにした。編集にあたり詩集タイトルを詩の一行から採らせてもらった。明るい飛翔の日が彼にあるよう、祈っている。
(「ノート/小柳玲子」より)
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