1999年5月、地虫詩社から刊行された森口武男(1912~2001)の第7詩集。
詩というものを意識して書きはじめましたのは、昭和二十二年(一九四七年)、ゼネストの学校の闘争委員代表を終えた頃からで、もう五十年は越えました。はじまりは、生徒(奈良商工学校)の次のような言葉からでした。「えらそうに(威張って)ぼくらの批評ばかりして。先生も一つ恥をかいたらどうですか。」年は三十五歳でした。当分は、生徒に添削され、批評してもらい、まさに師弟逆転、今考えると一番楽しい時代でした。
昭和二十八年には、小野十三郎さんらの主宰する『詩と真実』の同人にしてもらいました。
昭和三十年一月には、一オクターブ年下の、実は詩では先輩の大上敬義(同僚)と、『地虫』という会を作りました。
その創刊号(『地虫』)を、わたしの住まいのお向かいの小野藤一郎さん(十三郎さんの実兄)に、見せに行きましたところ「モリグッツあん、ペンペラペンでもええさかい、長うなごう続けなはれや。それが勝ちだす。」と言われましたので、三号ぐらいから、月刊二つ折の紙に、八人八篇の詩を印刷して続けました。四十号ぐらいの頃、藤一郎さんはなくなられました。三年まえの夏には五〇〇号となりましたのでその記念号を、藤一郎さんの仏前に供えました。その秋でしょうか、十三郎さんもなくなられたのは。
わたしの今度のこの詩集(七冊目)は、八十歳から、現在の八十六歳までのもの、詩誌『地虫』でいうと、四六〇号ぐらいから、五三三号までのものを収録しました。一貫したテーマなどなく、その時々の感想、思い出を記したものです。作りは『地虫』を切り貼りし、コピーにしたもので、字が小さく、お読みづらいものになりましたが、よろしく御判読くださいますよう、文字通り御笑覧下さればうれしく思います。
さあ、わたしもいつまで書けるかわかりませんが、命あるかぎり続けたいと思います。よろしくごべんたつを。
終わりの『少年囚の詩』は詩集にはどうかと思いましたが、わたしが対外的にやったこと(十五年間)の唯一のものなので、記念として入れさせてもらいました。
(「あとがき」より)
目次
・昭和十二年春
1 十二月八日
- 木のてっぺん
- 冬の夜
- 村の小学校同窓会
- 田園抄(秋)
- 仝(春)
- 村の魚屋
- ようちゃん はいはい
- モーンちち
- 水を浴びしぶきを浴びて
- 雨の町なかで
- クリスマス
- 十二月八日
2 藤田さんへのメッセージ
- 夕顔
- やさしいやつ
- ポスト
- 友だち
- 赤いカッター
- 同窓会
- 夢ばっかり
- 木蓮
- 酔芙蓉
- 藤田さんへのメッセージ
- 自転車
3 野山経
- 柿
- すり足で
- そうめんの夏
- さいふ
- 腕時計
- 田園抄(春)<野の放物線>
- 褐色の百円玉
- ヤキュウ
- へちまコロン
- 柔道一代
- 葱
- 野山怪
- 春なれば
- 転任校
- 天文年表
- 借金
- 平成九年車の秋
- 早春
- 海岸
- 誘い
- 祭参加
4 無愛想な犬
- 霰(あられ)
- 事件
- 西瓜
- おひる時
- 雀
- 釣って食ったいわな
- 蝙蝠がやってきて
- ねずみ
- ごきぶり ふくろう
- 田園抄(春)
- 仝
- 仝
- 仝
- 田園抄(夏)
- 仝
- 仝
- 田園抄(夏の終り)
- 田園抄(秋)
- 田園抄(冬)
- かたつむり
- 知りあい
- 無愛想な犬
- 描いたら
- 夜の雪
- オーキータン
- 祖父
- 雨
- 糖尿について
- たんす
- だまっている
- 夏の思い出
- リラの花咲けば
- 映写会
- 里がえり
- 電化の家
- 回転焼
- ペンチ
- なくした日記
- 思った
- 田園抄(冬)
- 手押し車
- 田園抄(秋)<会話>
- ぼくのブラジル
- 井伊直弼の土星
- 田園抄(早春)
6 少年囚の詩
- 少年囚の詩
7 あとがき
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