1986年11月、編集工房ノアから刊行された森沢友日子の第3詩集。刊行時の著者の住所は京都市下京区中堂寺。
無邪気に詩が好きと思っていた頃からみれば、詩はむしろ遠い雲の中に隠れてしまったような感じがする。近寄り難くどこにも居場所がないという現実と、どうも同じようなところがある。交差点でどちらの道を取るか決めかねていると、路肩にぶっつかってひっくり返ってしまう下手くそな自転車乗りのように、ふらふらと決断しかねることの多い私は、現実からも詩からもしたたかな拒絶を受けるハメになる。言葉も生きることも選ぶことだとしっていながら。
私にとって詩は、それがそこにあるからというように純粋なものではなく、さまざまな失敗や後悔をくり返しながら日常脱出の望みをつなぐ手段であった。トランプで、スペードばかりを集めると一挙に逆転勝利するというゲームがあるがそんな期待である。
それにしてものんきに、沢山の贅肉をつけていた。沢山の言葉を捨てなければならなかった。不器用だからそのために沢山の時間がいった。でもまだほんとうに身軽とはいえない。
切実に自由でありたいのに、自由でなければ詩は書けない。書くことも含めて、断念することを身にしみてしらなければ書けないということが、やっとわかったようである。
前の「指あそび』に重ねて、中江俊夫さんには詩集作りの心構えなどを教えていただき、とても感謝しています。
(「あとがき」より)
目次
- 放火徘徊
- 生きる歓び
- 期待
- 兆し
- 明るい町
- やみつき
- メモふうに
- 犯意
- 二度目
- 食後
- ひも
- 猫
- 永遠に
- 怯え
- ヒモ虫
- 棘
- 窓ガラスが汚れていた
- 肝心のこと
- 発作
- 墓
- 単純な絵、あるいは窓
- わたしからわたしへ
- 自転車
- 風景として
- 穴の機嫌をとる
- ボール状態
- さらす
- 赤いテントを見た晩に
あとがき