2004年1月、作品社から刊行された絓秀実(1949~)の評論集。カバー写真は井上紀州監督映画「LEFT ALONE」。装幀は前田奈々。
目次
・第1部 「文学」の現在と、webにおける「論争」
- Junk的なものをめぐって
- 小説家の誕生とその代償――坂口安吾小論
- 探偵=国家のイデオロギー装置
- 今日のジャーナリズム批評のために――小林秀雄と大西巨人
- 歴史修正主義の基本構造
- ポスト「近代文学史」をどう書くか?――「元号」と「世代」をこえて
- 新たなマオ的「人民戦争論」が求められている
- 高橋源一郎<「大逆」と明治〉へ
- 高橋源一郎のレスは、あまりにも愚劣かつ恥知らずである
- 文学史は「病院」から「美容院」へと、その場を移しうるだろうか
- 盲目を選択する現代文学の「貧しさ」をさしあたり肯定する
- アルツハイマー
- 文芸雑誌の排出した「粗大ゴミ」は、いかなる意味で粗大ゴミなのか?――これは「喩え」ではない
- なぜこれが「アメリカ批判」の書なのか――ネグリ/ハート著『〈帝国〉グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』
- 「少女」とは誰か?――吉本隆明小論
・第2部 1968年革命」と、「大学」をめぐる諸問題
- 「ゆとり」教育の正体
- 江藤淳と「われらの時代」
- 六八年革命における政治と主体――その今日的帰趨
- 今日の「全体主義」―一九六八年の三島由紀夫を忘れるためのアジビラ風エスキス
- 「二十一世紀の資本主義」における大学――駒場アピール (二〇〇〇年十一月二十六日)
・第3部 ポストポリティクスのなかの「政治」
- アジアは「もの」である
- 「神の国」における民主的統治形態
- 教育問題の社会経済的基礎
- 「資本の文明化作用」の失効
- デフレへの危機管理は可能か?
- 国民の「俗情」は「痛み」を回避する
- 資本主義と「自由の幻想」
- ランボーvsビンラディンは可能か
- 「監視/管理」型社会のNGO運動
・第4部 時代の迷妄の証明としての「時評」
- 完璧な罵倒語は存在しない
- スキャンダリズム民主主義
- 政治的フーリガン
- 三浦雅士「青春の終焉」の災難
- 「革命的製本技法」論争
- 総括「オウム』に残る「なぜ」
- 長嶋という官能性の終わり
- 「満腹ガキ」の小器用な批評
- 戦争「肯定」の思考実験
- 年の暮れ、鈴木書店倒産
- ことほぎの新年号
- じきに博士号のホームレス!?
- "藁"えない「2ちゃんねる」
- 「文学場」の変容―「批評」と「研究」の闘争を提起する
- 法の外?
あとがき
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