1976年5月、春秋社から刊行された内田守人の評論集。表紙は秀島由巳男。
私が熊本の国立ハンセン氏病療養所九州療養所(現名菊池恵楓園)の医局に腰を据えたのは大正十三年四月で恰度五十二年の昔となる。この間熊本に十年、岡山の長島愛生園に五年、青森の松丘保養園に五年余、昭和二十年三月に帰郷し、正式に退官の辞令を貰ったのは、二十一年三月であり、恰度二十三年間ばかり在任したことになる。
この間の医学的研究としては、ライ眼の病理と臨床に努力し、開眼手術に成功したことなどは懐しい思出である。また第一線を去ってから「水洗と石鹸による皮膚浄化」即ち上水道の普及がライ菌の侵襲を防ぎ得る理論に着想し、現在も予防対策として熱意を持って啓蒙宣伝に努めている。今や日本のハンセン氏病は一万人を割り、新患の発生は殆どなく、今後三十~五十年にして絶滅の見通しが出来ている。
また一方では筆者が宗教的にまで高め得たと信ずる短歌開眼により、多くの病友を誘導し、彼らに「生きがい」を感ぜしめ得たと信じ、また歌壇からも「ライ短歌の開拓者」として遇されているようである。
(「巻末に」より)
目次
まえがき
Ⅰ 疾患短歌の意義
Ⅱ 尺草の純情的闘病歌
- (1)その生いたち
- (2)良き師良き友
- (3)重りゆく病苦
- (4)『一握の藁』上梓
- (5)運命の神との出合
- (6)病勢止めがたし
- (7)三つめの門ついに来る
- (8)第二歌集『櫟の花』上梓
- (9)壮絶なる終焉
- (10)余光二題
Ⅲ 天才児明石海人
- (1)居坐り強盗になり得た海人
- (2)天才的ひらめき
- (3)海人の家系
- (4)第一の死門(発病の宣告)
- (5)出郷
- (6)安住の地はなかった
- (7)長島の風光と詩歌の胎動
- (8)失明(第二の門)
- (9)『楓蔭集』と『新万葉集』
- (10)『白猫』の編集に命を賭く
- (11)気管切開 (第三の門)
- (12)『白猫』ベストセラーとなる
- (13)はばまれし愛
- (14)父なるわれは
- (15)島の明け暮れ
- (16)巨星は堕ちぬ
- (17)遺骨を抱きて
- (18)海人の真骨頂
- (19)時は流るる
Ⅳ 伊藤保の人権主張の世界
- (1)闘病の鬼
- (2)肉親とのきずな
- (3)愛遂げて
- (4)産むや産まずや
- (5)戦争の苦渋と収穫
- (6)天愛は漏らさず
- (7)歌道の麒麟児
- (8)『仰日』出版
- (9)『白き檜の山』の詠嘆
- (10)阿蘇を吾が庭に
- (11)「評論集現代歌人百人」への採択
- (12)松下竜一の管見
- (1)二つの話題
- (2)熊本に於ける胎動
- (3)長島愛生園の文化活動
- (4)多磨全生園の底力
- (5)大島青松園
- (6)草津の歌ごえ
- (7)松丘保養園
- (8)星塚敬愛園の文藻
- (9)邑久光明園
- (10)駿河療養所の運動
- (11)東北新生園の自然
- (12)収穫期を迎えた戦後のハンセン氏病短歌
- (13)むすびとして
文学史年表
巻末に