重粘土地帯 武田隆子詩集

 1965年1月、私家版として刊行された武田隆子(1908~2008)の第4詩集。

 

 人と人のあたたかい言葉に感じ深く感謝し、詩をおおくりしようと、まとめました。わたしがあたたかい人の心にふれ得るのはとても幸です。タンポポのタネのようにどこでも風にのせられて行く生涯でしたので。
 祖父が士という職がなくなって九州から北海道に渡ったのでした。それで母は樺太庁舎建設中に旭川の家に帰ってわたしを生んだとのことで、わたしは夏休みになると、本と、珍しい味の物をもたされ、近文のアイヌ部落を通って、ひとり山に登り、レンガ工場に行くのでした。途々アイヌたちは白樺の皮をむいたものを背にして、ガンビといった、たきつけを街にうりに行くのによくあいました。工場につくと、トロッコに乗って緑の谷をくだったこともありました。
 また一ノ橋というところの橋をかけるときも遊びに行くと、たもとの草屋根のおばあさんが、霜で冷たく死んだようになっている赤とんぼを拾って両手の中で息をかけると空高く飛んでゆくとおしえてくれたりしました。
 祖母は温室の植物がすきで、お手伝いさんとムロに入れ楽しんでいました。このように家庭の味を知らないような淋しさの中で育っても、弟も建築家になって弟子――屈川湯間の鉄道をしきに行ったとき<雨の降る夜ドカタにあい、オヒカエナスッテ、というセリフをいわれ、公金を持っているので生きた心ちはしなかった>とか、のち友人の家に泊ってサビタの花をみるたびに、あの硫黄色の花びらから少年の弟の心のふるえがでてくるようです。
 人はいつも死の淵にいるもののようですね。弟はアッツ島から玉砕寸前にキスカにまわされ霧にまぎれキスカ島を脱出でき、北千島からシベリヤと、七年目に両眼ソコヒになって帰り、いま十勝岳の麓で街のづくりをしているとか、わたしは東京のドキュメントのなかで十勝の黒曜石を想っています。わたしの部屋には行ったところどころで、拾ってきた石が、それぞれの光り、それぞれの悲しみを、よろこびを、その中にかくして、無表情で本棚のスミッコにおかれてあります。
 その石のように、これということもないわたしと親しくお交りくださる方にこそ、人のさがの美しさに憧れるわたしは深く謝さねばならない。この詩集におさめた一篇一篇のかげに、真心で現代を生きぬいて、未来へつながる人々がひっそりとしています。その方々とともに、生きたいねがいに感謝をこめて、このささやかな詩を捧げるしだいです。
 だいを、みえない蝶ときこえない言葉にしようと思いましたが、重粘土地帯から歩きはじめて、いまなお旅のつづきであるわたしを省み、重粘土地帯としました。
(「あとがき」より)


目次

  • 雨の日に
  • 海へ行くみち
  • 石の上の花びら
  • 雪あかりの道で
  • 人を追って
  • 摩周湖
  • みえないもの
  • 支笏湖
  • みどり色の水
  • 重粘土地帯の人
  • 冷たい くうき と詩人
  • 砂山

あとがき


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