
1986年2月、編集工房ノアから刊行された川崎彰彦(1933~2010)の詩集。
七年前、VAN書房から『竹藪詩集』というのを出してもらった。生涯に一冊の詩集が持てて、わたしはうれしかった。もう詩を書かないつもりだったが、注文がきたりして、また書くようになった。詩というより「詩のごときもの」であるが・・・。そうしてなんとなく溜まった〝竹藪以後〟の作品から、また一冊を編む気になって、こんどは編集工房ノアにお願いした。
〝竹藪以後"と書いたが、竹藪は依然、わたしの窓外にあって、わたしをなぐさめたり、励ましたりしてくれている。『二束三文詩集』は〝続竹藪詩集"なのでもある。
七年の間には、一九八一年の晩秋に脳内出血で倒れるということがあった。この詩集は制作順にならべてあるが、ちょうど「夕景」を書いた翌々日のことだった。「夕景」が最後の作品になるところだったが、昼間、公衆の面前で倒れたため、すぐ救急車ではこばれ、四十日余りの入院で済んだ。この間、多くの知友から親身の援助と励ましを受けた。『二束三文詩集』にはそれらの人々への感謝の気持ちがこもっている。ほんらいなら一冊ずつ進呈して回らねばならないところだが、貧乏なわたしには、それもかなわぬ。お礼の気持ちだけを汲んでもらえれば、と思う。
右半身にマヒがのこったので、びっこを引き、左手で書くようになった。病後の一年くらいは詩だけが心の支えだった。いまは小説も書いている。
話はさかのぼるが、「すばるとコオロギ」を書いたころ、わたしの体調は最悪で、死がすぐそばまで来ているようだった。『すみれ通信』に載った「すばるとコオロギ」を読んで、大阪市立自然史博物館学芸員で蝶類学者の日浦勇さんが、高校生の息子さんともども喜んでくれたと聞き、わたしはとてもうれしかった。日浦さんとは会ったことはないが、ひそかに尊敬の念と同世代の親愛の情をいだいていたから。数ヵ月後、日浦さんは執筆のため机に向かったまま急死された。そしてわたしは生きのこった。なんということだろう。
この思いは「美しい日和」に書いた岡田清の死にも通じる。岡田は早稲田露文科でわたしの二年下。三木卓の親友だった。
『二束三文詩集』には、そんなさみしい思いもこもっているが、わたしは根が楽天家なのか、けっこうたのしんで生きている。そのことは読者も感じとってくださるだろうと思う。エピクロスの徒は死ぬまでたのしく充実して生きるのである。そうありたい。
おわりに、これらの詩片に舞台を与えてくれた雑誌、アンソロジー名を記して、謝意とする。
『雑記』『すみれ通信』『文学学校』『あんだんて(アンソロジー)』『手通信』『うえの』『花盗』『若葉頃』『黄色い潜水艦』
(「あとがき」より)
目次
- 小ディオゲネス
- 曇り日
- すばるとコオロギ
- 烏瓜をとる
- 夕景
- 秋冬断片
- 枇杷の花
- もぐらもちの唄
- へんなおばさん
- 牛の鈴(カウベル)
- のくたーん
- 犬殺し
- 春の蝙蝠
- 人生
- 鶯の午前
- 春蝉の頃
- 梅雨の終わり
- グミの花のこぼれ散る道で
- わが友フクロウ
- 夏の木
- 小動物誌
- 無言のあいつ
- 名古屋東山付近
- 美しい日和
- 鷺
- 秋蟬の詩
- 屋内のコオロギ
- カラスに
- 春の日の花とかがやく
- 池の底
- 狂句――日々の想い
あとがき