2002年5月、土曜美術出版販売から刊行された小坂太郎(1928~2010)の第10詩集。題字は服部哲齋。著者は秋田県雄勝軍西馬音内町生まれ、刊行時の住所は雄勝郡羽後町。
十冊目の詩集を出すことになりました。
この季節は、過疎のわが古里も、みずみずしい「みどりとおどり」の顔に輝きます。発刊のときも、わが誕生日としました。
青葉若葉は、私の細胞まで生き返らせ、草木の匂うような感性を呼びもどしてくれます。
西馬音内(にしもない)川(土地の人は馬音(ばおん)川と呼ぶ)は、今日も流れています。その眺めのなかで、変るものと変らざるものを見すえる眼差しが、いつしか研がれていくようです。
川は私の生まれ故郷のメタファーでもあり、生の根源にもつながっています。だから、はるかな時間の川上から、多くの人々の生死をつかさどった風土に累積した情念や、魂の祈りの姿が運ばれてきます。
せせらぎは、愛別離苦・怨憎会苦の人生を過ごし、込上げてくることばを言い得ずして逝った、数しれない者たちの思いを語り伝えます。
自然の厳しさを相手に生きねばならなかった先祖たちは、自らの手で、生活無能力者や不適応者たちを淘汰してきました。地域共同体を守る闇の律法として、「間引き」や「姥捨て」の因習は続けられました。
こうした飢餓の歴史は、飽食文明のなかですでに風化しています。民話の根底に潜んでいる現実、そこから派生した血と汗の系譜を見失って久しくなりました。
古里の川は、どこまでも風景を二つに分けて流れています。
だがある日ある時、ふとこちらを呼びとめ、瞬時、あの彼岸に姿を垣間見せる者がいます。わが北の民話の人物たちです。盆が近づくと、私のまわりの空気が厚くなってきます。
やがて、こちらの岸を歩いている者たちと、あちらの岸を歩いている者たちが、橋の上で落合い、入替る祭りの夜がやってきます。
この土地の踊りは、手を叩いたり両手を上げて天を仰いだり、また、足で地を蹴るとか、踊り跳ねるといった動き(振り)がありません。抑圧や桎梏からの解放を連想させるような、素朴単純な写実の形式を超えています。
むしろ、精霊の棲む地の底へ地の底へと、観る人々の魂を誘いこむような踊りです。長い歳月をかけて技を磨き、内的世界へ昇華させたものです。
北国の短かい夏の暦を惜しみ、限りある生を慈しみながら、同じ土に生き、血の通いあう先祖の記憶を手繰りよせ、その精霊と交りながら、自分の顔を消していきます。
その妖艶さは、いのちの輝きそのものであり、北の夜空に火の粉を散らす篝火が、その象徴といえます。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 鬼灯のうた
- 球根族
- 出羽山地残照
- 夜の兵士
Ⅱ
- 母たちの家
- 地の底の母たち
- 峠のバス
- 蚕の女
Ⅲ
- 白い伝説
- 目合い
- 橋場・二万石橋
- 農民出征兵士原田倉次を送る
- 犬の村
- 電話
- 呼ぶ声
- 夜鍋人生
Ⅳ
- かがり火
- 地のおどり
- 水のおどり
- 火のおどり
- きたのぽん・ひのまつり
- 頭巾と篝火
あとがき