
1978年7月、九藝出版から刊行された清水昶(1940~2011)の詩文集。装幀は三島典東。
東京に流れこんで十年、そのあいだにわたしは身近な三人の死者の死に立ち会っている。ひとりは暗に「将軍」と呼ばれていたわたしの祖父であり、他は村上一郎、石原吉郎の二氏である。これらのひとびとは一様に戦争体験を重くひきずっていた。そして奇妙なことに彼らの死の凶報は一様にぬけるような晴天の日に届いた。偶然の一致といってしまえばそれまでだが、晴れた日には何か不吉な予感がする。
三人の死に出会って波のように悲しみがひいていったあと襲ってきたものは「何だ、人間は死ねば死にきりじゃあないか」という晴天の日よりも空虚な感情だった。生前の祖父の勲章も、村上氏の日本刀のような美も、石原氏の生との苛烈なたたかいも、そのいっさいが夢まぼろしでしかない。いずれ虚無という鳥が最後の掃除をしにやって来る。
ロープシン=サビンコフの小説『蒼ざめた馬』にテロリストの主人公を慕う同志の女が大きな手の持主なるがゆえに主人公に心の底から嫌われる場面がある。人間とはそうしたもので目的がおなじだからといって必ずしも結びつくものではない。そしてたぶんわたしも、そんな人間の愚かさにまぎれて生きているのである。愚かな愛や愚かなにくしみ、そのいっさいを虚しいと思いながらも、わたしはそういう愚かさを見極めるために生き、また愚かさによって生かしめられるに違いないとぼんやり考えている。
いままで書いた十九篇の詩を選んでみた。無我夢中でこの十数年来書いてきた作品のほんのひとにぎりだが、わたしのヤクザな精神が、かろうじて読むに堪えると判断して選んだ詩篇である。
対談では石原吉郎、黒田喜夫、吉増剛造、福島泰樹、浅川マキの各氏にお世話になった。石原氏とは最後の対談になってしまったが、ゲラを読み返しながら、いまでもあのときの氏のにこやかな顔がわたしの中で生きいきと生きつづけている。生者にとって死者とはひどくやっかいなものだ。記憶の中で人間は死なない。おそらくは無感動にそのときまで見つづけたものがはじめて生者の目であると知ったとき私は動転した。十一月二十五日。死もまた行為となりうる地点に私は不意に立ちもどった。正確には北鎌倉壽福寺の背面である。
右は「北鎌倉壽福寺」と題された石原氏の晩年の作品である。十一月二十五日とは三島由紀夫の命日であり、「死もまた行為となりうる」という発想は三島が自死することによってみずからの思想を完結させたことを意味している。そのことを実は金沢星子氏の文章によってはじめてわたしは知ったのだが、それにしても石原氏は何とながく戦中の死者に加担し「死者の目」で苛酷に生者の戦後をみつづけていたことか。そして晩年ふいに「生者の目」を獲得し、生きようと思いなおしたとき、自殺による思想の完結へとみずからを追いつめていった。しかし絶対に自殺などしないという変な自信を持っているわたしは、この世で生を持続させることが、すなわち思想の完結であるというもっとも平凡な発想に賭けていくほかないのである。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ わが詩19
- ブルーアメリカ
- 義眼について
- 死顔
- 男爵
- Happy Birthday
- 夏のほとりで
- 暗い五月に
- ある瞑目
- 闇の中から
- 二〇歳
- 野の舟
- 開花宣言
- 恋する人
- ひとり幻影の壁にもたれて
- トロツキーの家
- 青葉城址
- 太陽の受け皿
- 緑の日々
- 海へ
Ⅱ 対話
- 自己空間への渇望 石原吉郎との対話
- 肉体と原像 黒田喜夫との対話
- 詩が移動している 吉増剛造との対話
- 精神の白夜から乱調の美へ 福島泰樹との対話
- 閉じた部屋からあふれる歌 浅川マキとの対話
- Ⅲ 詩の荒野へ
- ふりかえる未来 民衆自体の権力について
- 夢へ病む旅 黒田喜夫氏への手紙
- 水で描かれた物語 伊藤章雄『河と人間』について
- わが詩の末路へ 心優しい批評へ
- 語らざる他者 1石原吉郎の歌と詩 2思い出 3さみしく孤独な死
あとがき
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