
2013年2月、青娥書房から刊行された暮尾淳(1939~2020)の詩集。装幀は司修。
今年二〇一二年二月一三日、姉で長女の加清蘭子は、宮崎の病院で八十三歳で息を引き取った。彼女は、この詩集の出版元である青娥書房の創業者であり、病に伏すまで社長を務めていた。暮尾淳の最初の詩集もここから出してもらった。葬儀は生まれ故郷の札幌で行なわれ、柩に降りかかる雪を見ながら、今度の詩集は青娥書房から出そうと心に決めていたが、わたしの体調や毎度のもたもたのろのろの原稿集めで、なかなか捗らなかった。
何より詩集名が思い浮かばなかった。
横浜の詩人山田今次さん(一九一二―一九九八)が、詩で「地球」に「ぢだま」とルビを振っていたのをふと思い出したのは秋も終りで、いろいろ迷っていたわたしは、それを詩集タイトルに借りることにした。あの世に手紙を出すわけには行かなかったが、山田さんはあの屈託のない笑顔で、OKしてくれることだろう。
『地球(jidama)の上で』には、二〇〇六年半ばから二〇一二年末までの三十二篇を選んだ。わたしが属している『騒』『小樽詩話会』がほとんどであるが、いずれも一度は各紙誌に載せたもので、しかし詩集での配列は発表年月順ではない。五年半の間に、集めてみると、わたしは六十篇余を発表していた。*印で三つのパートに分けたのには、格別の意味はない。だらだらと続いて行くと、自分の過去と現在が、作品世界よりもっと虚しくなって行くように思ったからである。
凸凹という言葉を使えば、この詩集にあるのは、凹の心象風景ばかりだ。そのあわいから、日常性を撃つなどという詩的野心は、もうわたしにはない。見たまま感じたままを、わたしの貧しい言葉の韻律に委ねて、詩的時空間に投げ出してみただけである。
飲み代だけは何とかやりくりしてきたが、わたしは七十三歳を越えた。よくぞこの現実社会から滑落せずに生きてきたものだと、しみじみ思う。
わたしのことを、飲み友だちと言ってくれる司修さんが、装幀を引き受けてくれた。司さんには、十年前に九十五歳で世を去った伊藤信吉さんが引き合わせてくれた。深く感謝する。また姉のあとを継いだ青娥書房の関根文範さんには、出版にあたって、さまざまなご配慮をいただいた。龍沢友子さんは原稿を整えてフロッピーに入れてくれた。記してお礼申し上げる。
次に詩集を出す日があるならば、アルコールの匂いがしないものをと思うけれど、無理だろうな。
(「あとがき」より)
目次
- 拍手パチパチ
- 愚かなるアバンチュール
- 「伝染るんです」 吉田戦車より
- おたんこなす
- 利口棒の唄
- コンドームの行方
- 蝙蝠Bat君
- いつものビヤレストランで
- チャーリーチャップリン
- ゲルピン
- 彼女を待ちながら
- 朗読できない詩篇
- 満月の午前三時
- 初なときがおれにも
- それでもみどりの夜に
- 太郎と花子
- 黄昏のベンチで
- おれなのでした
- 不景気
- ゴンドラの唄
- ゲルベルテ
- 夏シャンツェ
- コアジサシ
- マレンコフ
- おでん屋にて
- タマサシの旅
- 飲むばかり
- バイバイをした
- またいつか
- こーんこーん
- 水たまりの唄
- 迷子札
あとがき