
2009年12月、角川書店から刊行された河野裕子(1946~2010)の第14歌集。装幀は伊藤鑛治塔21世紀叢書第153篇。角川短歌叢書。
『母系』に続く第十四歌集である。『母系』と制作年次が重なる歌もあるが、今年に入ってからの最新作までを収めた。
去年の七月、九年まえに手術した乳癌の再発が見つかり化学療法を受けているが、抗癌剤の副作用はやはりそうとうに辛いものである。ひとつの転移箇所を押さえ込んでも、これからも癌細胞はモグラ叩きのように次々と転移を続けていくのであろう。
癌は副作用との闘いであるといわれるが、それはわたしの身体がいちばんよく知っている。あと何年持ちこたえられるか。免疫力と体力と気力だけが頼りだ。
人の気のあがっている所に、できる限り出て行こう、講演は引き受けられるかぎりは引き受け、歌会にも、体力が許す限りは出て行こうと思っている。食欲は全くなくなり、何を食べてもおいしくないが最低限の家事はこなしている。歩けて話すことができる今が一番いい時なのだろう。
五十年ほど歌を作ってきてほんとうに良かったと、この頃しみじみ思う。歌が無ければ、たぶんわたしは病気に負けてしまって、呆然と日々を暮らすしかなかった。あと何年残っているかを考えない日はない。しかし、わたしはこれまでのわたしの人生に於いて何ひとつ悔いるものは無い。自分に正直に、思うように生きてきたし、このうえない家族にも恵まれた。夫と二人の子供たち。そして息子の伴侶の裕子さんが何も言わずに寄り添ってくれるのも、四人の孫たちが居てくれて、大きな輪となり包んでくれることも、暮らしのかけがえの無い力となっている。
こうして、「葦舟」を出せる機運を作ってくださった角川学芸出版の杉岡中氏、山口十八良氏に、こころからのお礼を申し上げたい。お二人は、細心の注意を払って歌稿をお読みくださった。
『葦舟』が最後の歌集にならないよう、これからも今までのように全力で歌を作り、エッセイを書いていく。これは、誰とでもないわたし自身との約束なのだから。
(「あとがき」より)
目次
・二〇〇五年
- 鯉
- 陽がわたりゆく
- 高三郎
- 軽から薄からう
- 津波
- 生き残りは
- 離れ猿
- さくら
- そら豆の花ゑんどうの花
- 春の松山に
- てまり唄
- 高遠(たかとほ)の
- もうひとり居る
- ああ 蝶
- 歳月は
- ハワイ・ワイアコアビーチにて
・二〇〇六年
- 海彼より
- 菜の花
- ひぐれの縁(ふち)
- 終点まで
- 太郎や次郎やチロたち
- 2Bの鉛筆
- 日向の水
- 歌人ふたり
- いいだろ俺たち
- そこに居よ
- この雨が止むまで
- 青葉羽衣
・二〇〇七年
- 故(ゆゑ)よし問ふな
- 落葉焚き
- ダリアを植ゑる
- 言はざりき
- 初夜(そや)
- トム
- またおいで
- 穂すすきの母
・二〇〇八年
- 黄の蝶
- さうさなあ
- 岩倉交番
- 猫その他
- 誰からも
- 白兵戰
・二〇〇九年
- 眠らう
- 冬の蜘蛛
- 死に馴れず
- あ
- 駅間(えきま)の時間
- そしてそれから
- 対岸
- 卵(う)の花教へよ
- 陽あたる方(かた)へ
- ダリア会
- 姉(あね)さんかぶり
- どんな約束も
- 季節は
- 私は妻だったのよ
- 葦舟
あとがき