
1966年4月、道標社から刊行された船水清(1914~2003)の第2詩集。
私が詩を作りはじめたのは十五、六歳のころからだが、そのきっかけは萩原朔太郎の「月に吠える」や堀口大学訳の「月下の一群」(フランス詞華集)などを読んだことからである。昭和四、五年ころからは自分で書いたも新聞や雑誌に投稿して活字にした。
それから「北」(第二次)や「府」などの詩誌を編集したり、百田宗治の「椎の木」の同人になったり、乾直恵、高祖保らと「苑」を出したりした。高祖は私に詩集を出すようにとすすめてくれたので、それまでの作品のなかから約六十篇ほど集め、彼の紹介で萩原朔太郎氏に見てもらった。
いまくわしいことは忘れたが、とにかく出してもよいということだった。しかし「苑」は乾直恵が病気したことや、高祖が応召したことでまもなく廃刊になり、そして、そのあとすぐ私も満州に渡ったため、詩集はついに陽の目をみなかった。
渡満後は仕事が忙しかったから詩もあまり作らず、また詩人のグループにも加わらなかったが、やがてあとから渡満してきた逸見猶吉と知り合った。彼は詩人としてもすぐれているが、人間的にも共感するものがあったから親しくした。そのころまでは前に萩原氏に見てもらった詩集の草稿があったから、それらの作品を逸見に見せたところ、ぜひ出版しようといってくれた。しかし、敗戦直前のころなので、なかなかむずかしく、出版社に預けているうちに戦争は負けた。そして彼は新京で病死し、私はソビエト軍にとらえられた。こうして、私の初期の作品の大部分と満洲時代の作品は戦争とともに失われてしまった。(この間に萩原氏は亡くなっていた。)
ソビエト抑留中は詩をつくるどころの状態ではなかった。しかし、詩のメモにするつもりで俳句を少し作った。記憶する上でこの方が便宜だったからだ。この時の俳句は昭和二十九年に「北極光」と題する句集にまとめて出版した。句集ではあるがまとめて読めば、叙事詩のようになると思ったからだ。この抑留中のことをのちに詩にしたのが、この詩集のなかにある「藁の床にして」である。たった一篇だが、その意味で入れておいた。
ソビエトから帰還してからまもなく、仲間と一緒に「北」(第三次)をはじめたが、そのころは生活が苦しく大変であった。Ⅱに収めている作品の大半は当時のものだ。二十九年から三十一年にかけて、高木恭造、村次郎、植木曜介、草飼稔と私の五人で季刊詩誌「くうたふむ」(五人の頭文字を集めて誌名にしたもので、フランス語の<COUTUME>をもじった)を出したが十一冊で廃刊した。
それからは、また一人になってこつこつと書いた。その作品がⅠに収められているものだ。以上が私の詩歴の大概である。
この詩集にははじめ戦後の作品だけ収録するつもりであった。ところがさきに初期の作品約二十篇を集めて「流離歌」を出したところ、旧い詩の仲間たちから「流離歌」に収められていないいくつかの作品の切り抜きや書き写したものが寄せられ、それが約三十篇にもなった。生まれてすぐ手離したこどもにめぐりあったようなもので、いまとなってはこれを投げておくのもせっかくの友情に反くような気がするので、そのなかから十七篇を選び、皿として「流離歌」拾遺という気持で加えることにした。そこでこの詩集は、私の初期から現在にいたるまでの作品のあらましを収めるという結果になった。
とはいえ昭和十三年ころから二十二年までの十年間ほどのものはまったく欠けている。このことは前に書いたとおり、十二年秋に満洲に渡り、二十二年初冬にソビエト抑留から帰国するまでの期間にあたっているためだ。いまから思うとその期間中はあまり作品の数も多くなかったから、まずこれでよいのかもしれない。
そんなわけで、この詩集にはⅠ・Ⅱの戦後の作品四十編のほかに、皿の昭和九年(一九三四年)から十二年(一九三七年)の旧作をあわせたので五十七篇が収まった。年齢でいうと二十一歳から五十一歳までの三十年間のものになる。いまにして思うと随分長い道のりであった。作った数からいえば三百篇ぐらいはあったろうと思うが、あまり自分の作品に感心するものがなかったので、粗略にしたことと、戦争がその散佚に拍車を加えたせいで、こういう結果になったわけだ。
作品の配列はだいたい逆年代順になっている。一篇ごとに制作年月を記したのはその時代的背景と、私の精神的遍歴が作品の裏付けになっていると思ったからだ。
戦後の作品でもⅡはソビエト抑留から敗戦の故国に帰った二十三年(一九四八年)以降、三十年(一九五五年)までのものは、そのころの私の精神的な状態があきらかに反映しているし、当時の社会の暗さもその蔭にあるようだ。Ⅰの作品群は三十八年(一九六三年)から現在までのもので、これは近作といってよい。この時点にいまの私はいるわけである。よいか悪いか知らないが、いまの私は二十代のころのように詩がつぎつぎ生まれてくる。そして、それをできるだけ平明なことばで、卒直に、かつ自由に、表現したいと思っている。これが私のポエジイであり、思想なのだから。
この詩集は、道標社の船水宏、斎藤康司、菊地正英三氏のあたたかな志によって刊行されることになったものである。面倒臭がりで、天邪鬼な私をはげまして原稿を整理させたのも、この厚情のお蔭だ。どうもありがとうとここに銘記しておく。
(「後記」より)
目次
Ⅰ
Ⅱ
- 美しい肉
- 神の舌
- 習性
- 灰いろの皮膚
- 暗い廂に
- 白い殻
- 一つの卵
- 秋夜抄
- 燃えつきる火
- むざんな手
- 元日の詩
- 天の媒
- 崖の上
- Non-Etre
- 夜の錘
- 藁の床に臥して
- 新しい樹形
- 朝の審判
- 雪上にて
- 失地の人
Ⅲ
- 公園にて
- 赤い雪
- 早春
- 谷間
- 望洋館
- 不眠の夜
- 薄明
- 残雪に
- 城のある町
- 生まれた町
- 池の畔りで
- 落葉
- 洲
- 水辺にて
- 断章
- 見知らぬ町
- 某月某日
後記