
1968年6月、昭森社から刊行された森みつ(1922~1967)の遺稿詩集。装幀は大谷久子。
一九六七年七月一五日、森みつさんは急逝された。
その日、北海道日高の国、新冠(にいかつぶ)の海に沈む巨大な落日が、森さんのを赤く染めたことだろう。森さんは、その落日をことのほか愛していた。仲のよかった女流詩人の村田和歌子さんをドライブにさそったのもその落日を見せるためだったし、死の直前、公用で浦河に出たのちも、高台を走るバスからそれを眺めたいばっかりに、わざわざ疲れ切ったからだを長い道のり揺られて帰ったときく。翌る日から死の日まで、十三時間も眠りつづけた。
この落日のなかに森さんが愛したのは、強者の壮麗な亡びゆく姿だったのではないか。太陽が孤独な死のたたかいに力つき、波の牙に噛みち
らされてゆく壮麗さ……それこそ森さんの詩の底に流れているかすかな音楽だったとも私は思う。
森みつさんは、いまの日本に数少ない本格派の詩人だった。官能や情念に溺れない、がっしりした思想と識見の骨格をそなえていた。生活を切りひらいてゆく武器となるような文学をもっていた。女性らしさへの甘えがない。すっきりと洗われた大人の文学だ。詩は青春の文学だという虚妄を物の見事に否定している。古典を指向しているとも云える。最近その詩はとみに充実し、多彩なプログラムが彼女を待っていた。
森さんは北海道に生れ、北海道で生き、北海道で死んだ。死の早すぎたためもあって、中央詩壇からはついに認められる機会を得ずにしまったが、その力は、この詩集一巻があますところなく物語っている。中央集権的なジャーナリズムに馴らされた人びとは、自分のそばにいる偉大な価値に気がつかない。地方に住んでいるというだけで、東京にいる人はおろか、むしろ地方に住んでいる人たち自身、過少評価しがちだ。森さんの仕事は、この様な鈍感で、恥しらずな風潮に対する強烈な抗議となるだろう。
森さんの急逝は、詩誌「核」の同人をはじめ、彼女を知る北海道の詩人たちに深刻なショックを与えた。ことに更科源蔵の痛嘆は、見る目も痛ましいほどだったが、その点では私も彼に劣るものではない。
昨年の九月十七日札幌で追悼詩会がひらかれたとき、詩集を出す話がきわめて自然にまとまった。十月二十八日、「核」の永井浩、米谷裕司、千葉宜一、河邨文一郎ら主要同人や、もと「野性」の更科源蔵、佐々木逸郎、「木雫」の逢坂瑞穂、小島雅代らの仲間や、夫君の森多賀雄、従兄さんの特急印刷KK社長中山康雄氏らが集まり、具体的な相談が進め
られ、昭森社の森谷均氏の御好意でこの詩集が出版されるはこびになった。なお、印刷については中山氏の多大の御好意をいただいた。厚く感謝申し上げたい。
この詩集が全国の詩人たち、詩の愛読者たちから正当な評価を受けることを、私たちは胸を熱くして願っているのである。
(「あとがき」より)
目次
・花咲きぬ
- 花
- 雪の哀歌
- ふるさとの歌
- 闇
- 幼年
- 秋の詩
- 雪の日の手紙
- 雪夜
・微笑思慕
- 水甕
- 鳩
- 思惟のみほとけ
- 月光菩薩
- 微笑思慕
・黄薔薇挽歌
- 黄薇薔挽歌
- 笛
- 宗教
- 鴉
- 猫
- 坂道
- 雪
・夜の風の中で
- 貝殻いろの夜
- 雲
- 夜の風の中で
- 晚秋
- 初冬
- 二月
- 落日
- 鏡
・にいかっぷ
- 風景(一)
- 風景(二)
- にいかっぷ
- 秋
- 冬の海
- 絵の中の女
- えせ老の歌
- 葬列
- 北海道讃歌
あとがき 河邨文一郎