
1966年8月、あいなめ会から刊行された新谷行の第1詩集。刊行時の著者の住所は杉並区上高井戸。
手を泥でよごす作品と、手をぽっぽに入れたままの作品がある。いい時代ならば、手を泥につっこむようなことはしないで書いたものを作者も、読者も納得することができるが、今日のように、から約束の時代には、泥の味なしに、いたみ場所をさらさないで、人の心をつろうということはむづかしくなった。
新谷君は、上杉浩子さんといっしょになってからも、はじめのうちは、自己の悲壮感を殺さずに、しごとをしていたが『水平線』の作品にかかってからは、手を泥ではなく、ひりひりするリゾール水のなかに、彼女といっしょにつっこむことになった。同情者でも、庇護者でもなくて、同類である。彼女といっしょにぬけ出そうとしながら、作品は、そこをぬけ出すことでよろこびを失ったものになるかもしれないのである。正に、これは、悲劇の文学とでもいうべきであろう。二人の手は、きれいな手だが創だらけな手であることで似ている。新谷君と上杉さんとの組合せは、やさしさとかなしさにみちているようにみえる。そして新谷君と上杉さんとの作品の危険さには二つの現実が賭けられていて、読者を二重に、三重に、加担者に引き込む。ボン・サンスを基調とした、もろもろの犯罪は、こうして成立するものであるらしいが、上杉さんのナイーブに対して、それを花咲かせるための外殻となるつらい役目が、新谷君を成長させた歴史を、なによりここによみとるべきであろう。
ここからはじまる犯行にこそ、魅力があるのだ。
(「序/金子光晴」より)
目次
- 百日紅
- 蝶
- 繚乱
- 木蘭
- 女
- 帰り道
- 夏日
- 星の夜
- 金次のこと
- 河蟹
- 虫
- 卵
- 想い
- 風が吹く
- 水平線
序 金子光晴
跋 櫻井滋人