京都うた紀行 近現代の歌枕を訪ねて 永田和宏 河野裕子

 2010年10月、京都新聞出版センターから刊行された短歌アンソロジー。写真は奥村清人、地図は寺田悦子。装幀は上野かおる。

 

  京都新聞で、「京都歌枕」連載の話はもう何年も前から出ていたプランであった。歌枕とは、その地を冠して詠まれた古歌およびその場所をさす。今回は、古歌ではなく、近代および現代短歌からピックアップした京都と滋賀の歌枕の地を、永田和宏と一緒に訪ねて歩くことになった。
 連載は、二人で五十回におよび、各自二十五の歌枕をあるいた。二十五の歌枕を訪ねるというのは、結構たくさんの量だと思うが、過ぎてしまうとあまりにも短く、第一回目の「地下鉄北大路駅」を訪ねてから二年も経ったとはとうてい思われない。夏のはじめの頃で、大谷大学のグラウンドを縁どって立葵の花が逆光のなかにそのやわらかな花びらを昏(くら)めながら咲いていたことを鮮やかに思い出す。
 あまりにも大きな変貌に驚かされることが何度もあった。その最たるものは、滋賀県堅田(かたた)である。わたしが十代の終わり頃には、湖ちかくまで田畑がひろがっていた。それが、今は民家が建て込んでいて、昔の面影は全くなかった。記憶とは不思議なもので、眼前に広がっている情景がどんなものであろうとも、四十数年前に見た情景がやはりそのままの記憶として消しようもなくわたしにはある。
 昔のまま、そこにあり続けた歌枕の地もあった。宇治にある黄檗(おうばく)宗大本山萬福(まんぷく)寺もそのひとつに数えられる。高校三年生の秋、座禅のために訪れたが、時刻を知らせる魚板がそのままにあったのに感激した。数知れない僧たちが打ち続けてきた魚板。その腹のあたりは少し窪んでいたが、あれからの四十数年のあいだに、どれほど打たれてきたものか。ほとんど変っていないように思われた。
 京都・近江の四季ということを、今回の取材を通してこれほど実感したことはなかった。今までは観念としての四季であったものが、しみじみとした情緒をともないながら、これが四季なのだと体ごと感じさせるものがあり、それは今回の連載で得たもっとも大きなもののひとつであった。そして、古来より現代に至るまで、数限りなく歌に詠まれてきた京都・滋賀という地に、生涯のほとんどを過ごしてきたことを、今さらながらに幸せなことであったと思うのである。
(「はじめに/河野裕子」より)

 

 


目次

はじめに

・洛中

・洛東

・洛北 

・洛西·洛南

・滋賀

対談
京都滋賀 ふたりの歌枕
あとがき


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