曼殊院から 木々康子

 1969年6月、川島書店から刊行された木々康子の長編小説。

 

 この長篇の原稿を暫らくお預りして読ませていただいた時は、千枚近いものであった。読み易い文字でもあったが、静かな魅力を含んだ内容とその組立てにより先へ先へと牽かれて、読み進み、疲れなどは感じなかった。
 私は文芸作品の批評を仕事としている人間ではないので、読後感を述べる責任もなく、また具体的に、ある部分の訂正加筆などをすすめるようなことも求められていなかった。作者が私の意見を知りたいと思って原稿を読ませて下さったのだったら、今日に至るまで何一つ内容について考えを伝えていない私は、大変な失礼をして来たことになる。
 だがこの小説の出版を私はおすすめしたし、本が出来たら是非読ませたいと思う人たちを、読後すぐに想い浮べた。従って私も本の出来上るのを待ちどおしく思っている。
 題材は一九六一年で、この小説はその翌年から書きはじめられ、六六年に、私が読ませていただいた量に達した。しかしその後、二度にわたって大々的に書き直され、八百五十枚、八百枚と煮詰められた。
 作者からうかがったところによると、その構想ははるか以前からあって、それが長い年月のうちに整えられて来た。この作品を読まれた方は当然気附かれることであるが、歴史や社会学や、また哲学への関心と勉強が、大きな基盤となっている。作者にお目にかかっていると、こうした学問によって得られた知識をこちらが授けられることが多く、この小説のうちにも、私がうっかり読みすごしてしまった部分に改めて気づいた。
 この長篇へ吸収されたと言われる幾つかの短篇を、私はその形では拝見していないが、いずれにしても、諸事情を考え合わせて、今が一冊の本として定着させるのに、最もふさわしい時期のようにも思われた。
 この拙文を書くためにという意味ではないが、私は「曼殊院から」に関する作者の覚書をお預りしている。こうしたあまり意味のない私の文章を加えるよりも、読者のためにはその覚書を巻末にお載せになることをおすすめしたが、それは承知されなかった。
 これだけ長期間にわたって温められ、書かれ、訂正をほどこされた作品については、作者の覚書は重要な意味を持つものだと思うのであるが、いささか残念である。
 その中で、一行だけをここに抜かせて頂くと、作者は、この作品を「一口に言えば、日本という風土の中で、教養人として育ち生きて行くものの悲劇と絶望である。」と言われている。これについての作者の更に詳しい考え方までを引用は出来ないが、私たち一人一人がさまざまの形で考えざるを得ないこの大きな問題を、文学という形に整えた上で、私たちに示された点、私はそこに大きい値打を感じている。
 読者とともに、既に準備されつつあるらしい第二作への、まことに虫のいい期待を私も抱かせていただきたいと思う。
(「『あとがき』にかえて/串田孫一」より)

 

 


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