
1991年10月、近文社から刊行された村山精二(1949~)の第4詩集。表紙は新井克彦。著者は北海道赤平生まれ、刊行時の住所は南足柄市。
20年に初めてハンググライダーで空を飛んだ日の感動は今だに覚えている。自分の身体が3次元の行動をし、文字通り地に足が着かない気分であった。しそれから2年経って墜落事故を起こしハンググライダーの世界から足を洗った。が、88年にパラグライダーなるものを箱根の空で見てからは、また3次元体験がムラムラと頭を持ち上げてきた。スカイダイビング用のパラシュートを改造して進歩してきたパラグライダーを手に入れたのはそれから間もなくのことである。
なぜ空なのだろうといつも思う。3次元体験ならばスキューバダイビングもある。しかしどうしても空に行ってしまう。鳥のようにという表現があるが、鳥に見惚れて空に憧れた訳ではない。鳥への興味はハンググライダーを始めた後からである。良く飛ぶためのお手本として鳥を観察し始めたにすぎない。
確かに飛ぶということは詩的である。精神が拡散していく感じはある。自分の足元に地面が無いということは言葉の空間をさ迷い歩く詩と共通のものがあるのかもしれない。一般に自由に飛ぶと言われている程の自由さは無いが、気流、地形、機体性能を頭の中にたたき込んでおけば、その限りでの自由はある。しかしその感動を詩に書こうとも思わないし、ちょっと違うという気がする。
処女詩集を出版したのは77年である。今回で4冊目の詩集になる。この間に空で遊んで詩集を出し、という行為がくり返されてきた訳であり、どちらも自分であるというのが時々信じられなくなる。だがどちらも事実であり、どこかでつながっているはずである。どこでどうつながっていて、それは自分にとってどういう意味があるのか。考えておく必要があるのかもしれないが、どうでもいいようにも思えてくる。そんなことを考えるのは空も詩集も重大なことという前提があるからであって、どちらも日常のことであるとしたら、つながっていようがいまいが関係ないではないか。ああ、すっきりした。
第2詩集に続いて今回も伴さんのお世話になった。もう15年のつき合いである。表紙の絵は昨年知り合った新井克彦さんにお願いした。新旧の知人に支えられてこんなうれしいことはない。
(「あとがき」より)
目次
- 家路
- この街
- 73%引き
- もうすぐ春もやってくるというのに
- 22時の女
- 祭りの終わり
- シャドー・ボクシング
- 黄色い街で
- 美しい酒
- ピーナツが好きだ
- 秋
- 食べる
- 照星
- 設計図
- 祝 日本たばこ産業株式会社発足
- 子供が産まれて名前をつけました
- 背中
- 平衡
- 誤植
- 予報
- 食傷
- 五月晴にならないものか
あとがき
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