
1982年11月、ライオネスプレスから刊行された渡辺みえこの第2詩集。刊行時の著者の職業は学習塾教師、住所は川崎市。
第一詩集『耳』から十年程経った。言葉で考える間もない程、現実が次々とやってきて、何も書かない時が五年程った。母の死、父の倒産による連帯保証人としての莫大な債務、恋人との別れ、病気……等
五年程前、すこしずつ書きはじめた時、生原央子(いくらおうこ)という筆名を使った
第一詩集は「樹でないものから」「私でなく」というような否定の言葉で埋めつくされている。夢中で生きる価値を求めていた頃、一番影響され、一番害を受けたのが、男性中心思想のフロイト心理学と観念美学だった。
自分の存在を否定する形でこの世界とバランスをとっていた。この弱さの肯定は、この世界に何の傷も残さない、無害の存在だった。しかし私に本当に必要なものは、自己肯定とそれを生きる強さだった。その生きたかたちに逢ったのがフェミニストたち(女性解放運動家)だった。彼女たちはどんな序列も能力主義もなく、しんぼう強く運動を続けている。
今年で中学校の美術講師をやめた。思えば中学校講師という仕事は私にとって大きな抑圧だった。表わしたい欲求が強くなる程、言葉は抽象的にバラバラになっていった。今、学習塾の仕事をしているが、そこで生原央子という筆名を使っている。「生原先生」と呼ばれ、すこし変な気はするが、それによって渡辺みえこで詩を書くことができた。
私は運動をする時も様々の筆名を使っている。それらが全部渡辺みえこでかまわない社会、私のような者(支配の秩序に反する原初的欲求を持つ者、平等、平和を望む者)にとって虚構でない社会のために、絶望しないことを友人たちは示してくれている。
(「肯定することは」より)
目次
Ⅰ
- 壺
- 蔓
- 報復
- 伝承
- 墓
- 石
- 受容
- 遺髪
- 研ぐ
- 時は
- 蒲公英
- 聞こえないか
- 南風
Ⅱ
- 黎明
- 名前
- 歩行
- 足首
- 心が
- 静かに
- 滝
- 記憶
- ブロイラー
- 子守唄
- 頷く
- さちえちゃんは
- 仔猫
- 水中花
- 一九八〇年五月一八日
- アダムの肋骨からでなく
- 巡る
- 光
あとがき 肯定することは