
1983年4月、書肆いいだやから刊行された本郷武夫の詩集。装幀は大森杉子。刊行時の著者の住所は栃木県下都賀郡藤岡町。
かつて栃木新聞に書いた一文をもって、この詩集の後記を補いたい。
生まれて、人に出会い、人を愛する。このようにして人生という時間が流れていく。〈その時〉に関りあった物、本やキーホルダーや一枚のレコード、机、記念写真など。いろいろの記念の物が私のまわりにおかれている。
物は目が見ている間、その時その時の感情の産物として確認できるわけだ。けれど心に刻まれた時は目に見えるものとして存在していない。見えるのは自分という一人の人間。なぜこの人に出会ったのか。なぜこの人をたしかな存在として心に留めたのか。なぜこの人を愛したのか。だれの声も聞こえない一人だけの闇の中にすわって、私はそんなことを考える。そして働くとは私にとって何だろなどと
愛も労働もどちらが上でどちらが下などとはいえないが、愛というものがなくて人間は、心の底から働くという思いをもつことができないように思える。愛は、男と女、妻と子供、父と母、友達、など様々な形と質をとっているが、どんな愛が重要なのかは人それぞれにとって、また様々である。
私は女々しいのだろうか。いつも心の豊かさや愛されたいという思いを強く生きてきた。そうした気持は他の物ではどうしても紛らわすことはできない。また、生まれたものは生まれた時から死とい結果がたしかな事実としてきまっている。肉体というものは必ず死ぬのだ、という認識をもったとき、私以外の人々は私のように、女々しくはないのだろうか。自信にみちて微塵もそんな感情をさとらせない。いや、それは逆かもしれない。強がったり、見栄をはったりしているだけかもしれない。
一人の人間が、父や母とまったく違う別の人に、自分をわかってもらいたいという思いをもっているとき、それをどうみているのだろうか。死がまっている、あわれで、孤独な存在。生きることの辛さというものを、そしてもっと手ごたえのある生き方を、私は人が立つといわれる年代に入って知った。
今、自分を振り返るといくつかの屈折した時の事がおもいだされる。中学二年の頃、愛や性について悩み、甘ったるい小説世界の中に潰っていた。図書館の窓からよく校庭の風景を見ていた。その頃の私は、私のよろこびのひとつとなった詩に出会った。冬休みの宿題に詩を書いていくことが、そのきっかけであった。
詩を書くことの感動を知ったわけである。また愛や性の悩みという感情が、いくつかの新しい世界に飛び込ませる力を与えた。ラジオから流れる「予言の声」というキリスト教講座の通信教育を続けたのも、その時はヨーロッパの歴史を知るにはキリスト教を知らねばという簡単なおもいつきからであったが、その実行の力となったのは、悩みという感情のもつ力であったと思われる。
「先生」と私が心からいえる人との出会いもある。卒業と同時にある新聞の詩壇に詩の投稿をした。その詩の欄の最初の掲載が私のであって、私はますます詩作にのめりこませることになったはがきを、私はその選者からいただいた。最初の先生との出会いであった。二十年以上も昔のことである。二人目の先生との出会いはそれから三年後であった。担任の師であったその人の側で、私は非常に自由で闊達な時間をすごした。ときおり先生の自宅で自分の主義主張を仲間たちとぶつけあった。後年、東京銀座でばったりといきあった集団の中の三人はその時の仲間であった。それが民青の集団とわかったのは後のことである。私の方は女性二人と有楽町の駅へ、今は高校の先生をしている男友達をむかえに行く途中であった。全学連や東大闘争などで、ゲバ棒などが裏道をいききし、夜を徹して討論をしていた頃であった。倉橋由美子の『スミヤキストQの冒険』という小説を借りていった活動家の女性がいたが、今はどこでどうしているのか、わからない。
いろんな人と出会った。いろんな場所が思い出される。大久保の光学研究所地下の風呂場で酔いを醒ましたことや、アパートのドアに鍵を差し込む時のさむさ、下落合の聖母病院の下のあるいた坂道など。一つの顔が次の顔を想いおこさせる。多くの人と出会い、生き、そして別れている。
私とは何だろう。心の中にこんな多数の顔を抱えている私とは、と考えずにはおられない。もう会えない、などと思ってはいないけれど、誰が私とのことを覚えているのだろうなどと思うと、自分で覚えていなければと自分にいいきかせる。共に同じ時を生きた者にしかわからないこと。自分がいる限り覚えている、覚えていたい。そういう決意に私は自分の人生を刻んでいこうとしている。
心に留めた訳を思い、嘘をつくこともない懐しい写真をみるような感情が湧いてくる。この人とだけは別れない。時々思い出すのとは違う。毎日思っている。肉体が別であるのだから離れていても、決して別れてはいないという感情が、私の中にふきあがっている。詩集を編む私の心に常にあったものは、生きるということの自己による確認と、自分だけに通用することかもしれないことを考える私を、私の中の他者も含めた〈他者〉にわかってもらいたいという二点であった。一度発表された詩と集中の詩とのあまりの違いというのも、こうした思いによる追求によるものである。これからもこのようなねちねちとした作業をすることになる。こうした私と時代を共に生きて私を支えてくれる多くの人、岡安恒武先生、小山和郎さん、版画の大森杉子さんは勿論のこと、ここに名前をあげられない多くの人に私は感謝する。ありがとう。
(「後記」より)
目次
- 写真
- 隔離された庭
- 残された写真
- 記念写真
- あおい火
- 時の橋
- 濁流に
- 橋の歩行
- はしる
- 死
- 橋
- 人工の山
- わたる
- 夜
- ビーナスをみつめる七行
- 椅子
- 聖夜
- 手は
- ぼくのつくったひとかかえの
- 真夜中の調理場
- 大砲を打つ
- 工事現場
- 厚みのない部屋の危険
- 石を投げる
- 釣り場
- あの日ぼくが
- 木の葉うおについての断章
- 秋の道
詩人生誕 岡安恒武
後記