2008年7月、ふらんす堂から刊行された峯澤典子の第1詩集。装幀は君嶋真理子。第42回小熊秀雄賞候補作品。
目次
- 雛流し
- 焚く
- 火送り、
- 形見
- 雛祭り
- 花火
- 古沼
- 空蟬
- 石あまり
- うた
- 春待ち
- 津波
- ねがい
- 音楽
- 舟遊び
- 水しるべ
- 出発点
- 祈る
- 天気図
書評等
関連リンク
1992年6月、河出書房新社から刊行された橋本治の詩集。デザインは粟津潔。1985年1月、河出書房新社から刊行された『大戦序曲』に書き下ろし「ラブレター」と「危険なラディゲ」を文庫化にあたり追加。
目次
・「大戰序曲」
跋
・「ラブレター」
・「危険なラディゲ」
あとがき――「ほしいものはアメノムラクモノツルギ」
本書は、全詩集『定本峠』(花曜社、一九七三年)以来十二年ぶり、単行詩集としては第二詩集『風土』(書肆ユリイカ、一九五六年)以来実に二十九年ぶりの、わたしの詩集である。
大方の読者の皆さんがご存知のように、わたしは一九六〇年頃から、詩について書くことや翻訳の仕事の方に精力を奪われて、詩作を中断していた。一九七〇年に、本書にも収めた詩「魂の死」を、内から強く突き上げてくる気持ちにうながされて書いた後も、ごくたまに、年に一、二篇を書くだけで、詩作の中断状態は変わらなかった。これがここ数年、折々気持ちの昂ぶるのをおぼえて、ノートに詩作を書きとめる習慣が復活し、ここにようやくこうして一冊の単行詩集をふたたび出せるまでに至った。従って、本書中に収めた作品は僅かの例外を除き、その他はすべてここ数年間の作である。集中二十四篇はその間に何らかの形で(雑誌などに)発表されたものであり、残り九篇が未発表である。一度書かれた後に捨てられて、ここに取めることをしなかった作品も少くない。なお、既発表の作品で、本詩集収録に際して、改題したり、一部分手を加えたものもある。
これらの作品で、わたしはその出来映えをほとんど考慮しなかった。書きたいことを書きたいように書く、それが唯一の<わが詩法>だった。詩はわたしにとって芸術ではない。わたしの生きる過程の中で、わたしの心が書くことを望んだその結果が、わたしの詩である。そのことを、これらの作品を読み返してみて、改めて痛感する。一度は書いておきたいこと、言っておきたいことを、わたしはこれらの詩で書いた。これらの詩の出来映えの貧しさは、他人の時について久しくあげつらうことをしてきたわたし自身が一番よく知っている。だからわたしは、もしもそれが可能なら、これらの未熟な作品を少しでも越える作品、作風の異なるいささかなりとも詩境の新たな展開を示す作品を、この先書いて、それらの作品で次の詩集を編みたいと思う。この詩集はわたしの再出発の第一段階である。そう思わなければとてもこれらの詩を一冊にまとめる勇気が出なかっただろう。
この詩集は、わたしの長い間の友人であり、信頼できる数少い編集者のひとりである橋口文彦君が経営する研友社の、最初の企画単行本として刊行される。思えば十二年前の全詩集『定本峠』も、若い頃からの親しい友人である林春樹君が創めた出版社、花曜社の最初の出版物だった。そして今回は、花曜社が発売元を引受けてくれる。二人の友人の好意が身にしみて嬉しい。研友社編集部の佐久間和子さんも、この本の出版のために、献身的な協力をしてくれた。
そして、この本を少しでも価値あるものにしてくれたのが吉野弘さんである。吉野さんは日本中の詩人の中でわたしが最も敬愛する人である。人間的に最も信頼している詩人である。新しい詩集を出す機会があればその時はぜひ吉野さんに一文を寄せてもらいたいと、わたしはずっと心中ひそかに思い定めていた。この本が出ることになってから思いついたことではない。それだけに、吉野さんに、心のこもった率直で温い文章を書いてもらえたことがとても嬉しい。吉野さん、お礼言います。
わたしはこの詩集の「Ⅳ」の連作<詩人たち>の中で、詩人たちに対して挑発的な毒舌を吐いたが、詩人たちの全員に敵意を燃やしているわけではない。それどころか、一部の思い上った詩人を除いて、日本中の詩人たちのほとんど全員に、熱い友情を抱いている。その人たちの書く詩を愛している。その詩人たちにこの詩集を読んでほしいと思う。それと同時に、ふだんは詩など読まない一般の人々にも。詩は決して詩人たちだけのものではないのだから。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
Ⅴ
小感 吉野弘
あとがき