伊藤整

帰らない日へ 十七歳のモニュメント 伊藤マリ子

1981年10月、講談社から刊行された伊藤マリ子(1952~1978)の遺著。装画は南桂子。著者は伊藤整の次女。 目次 まえがき 伊藤礼 Ⅰ ラクダ色のベレー帽 父と娘に関する十二章 祖母のこと アンクルトムの小屋 私の心理学 肥後の石工 京都の町 津和野の町は自転…

戦争の文学 伊藤整

1944年8月、全國書房から刊行された伊藤整(1905~1969)の評論集。装幀は荒井龍男。 目次 第一部 戰爭の文學 第二部 日露陸戰記考 一 序論 二 「兵車行」 大月隆仗著 三 「血烟」 安川隆治著 四 「劍と筆」 大竹末吉著 五 「鐵血」 猪熊敬一郎著 六 「鐵蹄…

街と村 伊藤整

1939年5月、第一書房から刊行された伊藤整(1905~1969)の長編小説。表紙は野口弥太郎。 目次 第一部 幽鬼の街 第二部 幽鬼の村 NDLで検索Amazonで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索

青春 伊藤整

1938年5月、河出書房から刊行された伊藤整(1905~1969)の長編小説。装幀は中山省三郎。 NDLで検索Amazonで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索

微笑 伊藤整

1947年8月、南北書園から刊行された伊藤整の短編小説集。 目次 微笑 アカシアの匂について 街上で 斑點 雨と雪 女子修道院 日本の古本屋で検索ヤフオクで検索

父の記憶 伊藤整

1942年4月、利根書房から刊行された伊藤整の短編小説集。装幀は岡鹿之助。 「父の記憶」と「十二月八日の記錄」とは、最近の作品である。この二篇に記錄風な手法が見られるのは、大東亞戰爭の開始以來、生活の現實に對して小説家はできるだけ謙虚であらねば…

年々の花 伊藤整

1970年8月、中央公論社から刊行された伊藤整(1905~1969)の遺作長編小説。装幀は吉岡堅二。あとがきは瀬沼茂樹。 NDLで検索Amazonで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索

伊藤整 瀬沼茂樹

1971年8月、冬樹社から刊行された瀬沼茂樹による伊藤整の評伝。装幀は栃折久美子。 目次 序 伊藤整追悼――その全体像 最後の六カ月 伊藤整の人と文学 伊藤整弔辞 伊藤整君追悼 伊藤整の文学 伊藤整君 人と仕事 伊藤整の側面 ゴロダの丘を訪ねて 一 詩人として…

少年 伊藤整

1956年12月、筑摩書房から刊行された伊藤整の長編小説。 目次 少年 一 噓 二 風 三 吿白 四 町で 五 ピストル 六 靑い鳥 七 學藝會 子供暦 玩具の思い出 分敎場 子供暦 あとがき NDLで検索Amazonで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索

伊藤整氏奮闘の生涯 伊藤礼

1985年9月、講談社から刊行された伊藤礼による伊藤整の評伝。礼は次男。装画は三芳悌吉、装幀は中島かほる。 目次 千代田町・和田本町 ベルが死んだ頃 和田本町の家 赤痢 殴られた話 千歳烏山 千歳烏山の家 美談 四つの勤め 小包 北海道 伊藤整氏の終戦 伊藤…

虹 伊藤整

1968年12月、東方社から復刊された伊藤整の長編小説。装幀は須田壽。底本は1962年中央公論社版。 NDLで検索Amazonで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索

帰らない日へ 伊藤マリ子

1981年11月、私家版として刊行された伊藤マリ子の遺稿集。伊藤整の娘。装画は南桂子。 目次 まえがき 伊藤礼 Ⅰ ラクダ色のベレー帽 父と娘に関する十二章 祖母のこと アンクルトムの小屋 私の心理学 肥後の石工 京都の町 津和野の町は自転車に乗って 「美」…

伊藤整詩集 光文社

1954年11月、光文社から刊行された伊藤整(1905~1969)の詩集。装幀は岡本芳雄。 ここに集めた私の詩は、次のやうな形で發表されたものである。 詩集「雲明りの路」一九二六年十二月一日、椎の木吐發行。 一九五二年六月十五日、木馬社再刊。「雪明りの路」…

伊藤整 奥野健男

1980年9月、潮出版社から刊行された奥野健男(1926~1997)による伊藤整(1905~1969)論。装幀は黒川淳子。 伊藤整は、文学におけるぼくの唯一の恩師である。人から先生と呼ばれることを厳しく拒否し、一生弟子ををつくらないと常々言われていた伊藤整が、…

吉祥天女 伊藤整

1940(昭和15)年3月、金星堂から刊行された伊藤整(1905~1969)の短編小説集。装幀は吉田貫三郎(1909~1945)。 目次 吉祥天女 微笑 食ひちがひ 十八歲 佛の耳 楓の木 息吹き 驛で NDLで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索

雪明りの路 伊藤整詩集

1926(大正15)年12月、百田宗治(1893~1955)の椎の木社から刊行された伊藤整(1905~1969)の第1詩集。画像は復刻版。 詩集を出すことなど考へもしなかつた私も、自分の為のこの小さな記念碑をたてる事になつた。考へてみれば十五六の年からもう七八年も…