齋藤怘
2002年8月、土曜美術出版販売から刊行された齋藤怘(マモル)の評論集。装幀は狭山トオル。 これは植民地と分断の時代を生きた朝鮮の詩人を想う、私の拙いノートである。「もう書ける人がこの世にいなくなる」という故加藤幾惠さん(前土曜美術社出版販売(株)…
2004年10月、土曜出版販売から刊行された齋藤怘の第9詩集。 読み返してみると、この詩集は世間知らずな私の『身世打鈴(シンセタリョン)』である。戦時中、せめて一冊詩集を残したいと思いつめていた二十歳、非才を顧みず詩百篇を自らに鞭打っていた四十歳…
2000年9月、土曜日術出版販売から刊行された齋藤怘(マモル)の第8詩集。表紙写真は著者少年時代の漢江。 敗戦以来半世紀以上が経過し、日本と朝鮮との狭間で生きた多くの友が鬼籍に入った。未知の焦土に家もなくその日を生き、いつの日かソウルの友にも私の…
1994年5月、私家版として刊行された齋藤怘の第7詩集。著者自装。 第五詩集『暗い海』を纏めてから十年。その間定年を迎え、一〇三歳の母を送った。詩に親しんで五十年。私は未だに戦争の傷痕を引きずっている。ソウル生れの私は、考え方や生活態度がストレー…
1984年5月、詩学社から刊行された齋藤怘の第6詩集。装幀は齋藤求。 鮭は生れた川に帰って来る。候鳥は同じ湖に渡って来る。漢江が洋々と広野を洗うソウルに生れ、人格形成期の大半ををそこで過し、多くの友を残して来た私が、今なおその土地にひかれるのは間…
1981年5月、詩学社から刊行された斉藤怘の第5詩集。装幀は齋藤求。 掛け算の九九をそらんじながら、友達と道草をくっていた学校の帰り道、雨あがりの凛(にわたずみ)に、白い入道雲が浮かんでいた。「あそび」とは私にとって一体何であったのだろう。意味の…
1977年10月、国文社から刊行された齋藤怘(マモル)の第4詩集。装幀・絵は斎藤求、題字は粒来哲蔵。 詩集を編むたびに私は心のたかぶりをおぼえて来たが、今はただ淡々として、父の霊前にこの詩集を捧げる。 父にまつわる作品を、私は幾度か書こうとしたが、…
1974年6月、無限から刊行された齋藤怘の第3詩集。題字は村野四郎、絵は齋藤求。 目次 化野 後生車 梵鐘 客佛 如意輪童女 百萬遍 骨佛 越の寺 馬頭観音 不生 寂静 絵本 賓頭廬 阿修羅 有執 願 班 日のかげ 橋 褐色の絵 時の転位(あとがきにかえて) 関連リン…
1969年9月、彼方詩社から刊行された齋藤怘(マモル)の第2詩集。装幀・装画は斎藤求。 少年の頃、私は毎日漢江の河原に立っていた。大河を下る筏のうえから、夕餉をかしぐほそい煙がただよい、流れをこえてその国の歌がきこえて来た。 漢江は京城の南をゆっ…